Kyoto Whisky Bar

 昨日(2016年8月26日)付の「日経MJ」の3面に、クラウドファンディングを利用した飲食店の開業に関する記事が載っていた。

 誰でも知っているように、クラウドファンディングは、21世紀に入ってから広い範囲で使われるようになった資金集めの仕組みであり、「たくさんの個人」から、「小口の資金」を、主に「インターネット」を利用して出資を募るのが主流になっている。

 また、出資の対象となるのは、映画の製作であったり、新規事業であったり、弱者救済の社会事業であったりするのが普通であり、その中でも、特に飲食店の開業にクラウドファンディングが使われる事例が増加しつつあるというのが、上記の「日経MJ」の記事の内容である。

 とはいえ、クラウドファンディングは、新規開店の前の告知や固定客の獲得の手段として、あるいは、出資させることで店に対する愛着を客の心に植え付ける手段として使われているのであって、開業資金の調達が本格的に試みられているわけではないし、金銭面での利益を出資者に約束しているわけでもない。記事にあった

CF〔=クラウドファンディング〕は媒体

という言葉のように、クラウドファンディングは、一種の宣伝媒体のように利用されているのである。

 しかし、クラウドファンディングのこのような利用法は、飲食店には限られない。クラウドファンディングのサイトをいくつか見ればすぐにわかるように、他の事業でも、クラウドファンディングは、「応援して下さい」「支援して下さい」というお願いと一体になっているのが普通である。出資を募る側から見れば、一銭もカネを出さずに、いや、反対に、カネをもらって応援団やファンを作り出す仕組みであり、出資する側から見れば、カネを出して事業を応援する仕組みである。クラウドファンディングでは、普通の意味での出資に見合った金銭的な収益を得ることは想定されていないのである。この意味において、クラウドファンディングは、きわめて「ソーシャル」な仕組みであり、本質的にはソーシャルメディアであると言うことができる。

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 実際、クラウド ファンディングのサイトの中には、出資者がコメントを書き込むことができるようになっているものが多いが、そこには、「応援しています」「がんばって下さい」などのメッセージが溢れる。また、このようなメッセージを書き込んでいる出資者の多くは、事業主と知り合いだったりして、そこにはすでに「コミュニティ」ができ上がっていることもある。ここには、まるでカネだけを黙って提供するなど、見返りが欲しくて出資しているようになり、とうてい許されないかのような雰囲気、どこかで忠誠心を要求されているかのような窮屈な雰囲気が漂っている。

 クラウドファンディングのサイトでは、不気味なことに、出資者は、「支援者」とか「サポーター」とか「パトロン」と呼ばれる。フェイスブック上の知り合いが「友だち」と呼ばれるのと同じである。私など、「投資っていうのは、本当はそういうものじゃないはずだ」と心の中で抗議しながらも、怖気づいて足がすくんでしまう空気がここにはある。

 クラウドファンディングは、投資の仕組みではなく、本質的には「カネが動くソーシャルメディア」である。事業を始める者のファンになり、応援団になりたいのなら、クラウドファンディングを利用すればよいが、投資に見合った利益を金銭の形で求めるなら、株式や投資信託を選択すべきであろう。

 クラウドファンディングにおいて出資者に約束されているのは、金額に応じて、「お礼状」であったり「記念品」(?)であったり「開店イベントへの招待」であったりする。将来、クラウドファンディングのソーシャルメディア化が進行すると、いずれ、出資の見返りは「カネを出して応援した満足」などと堂々と書く事業主が現われないともかぎらない。しかし、このような段階になったら、そのとき、出資者が提供するカネは、もはや「資金」ではなく「お布施」であろう。