AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

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 数日前から、まったく元気が出ない。

 そこで、私は、この体調不良の原因が暑さにあるに違いないと推測し、パソコン――私は、スマートフォンのいわゆる「フリック入力」が何年使っていてもうまくできない――で「夏バテ」を検索した。そして、検索でヒットしたページを開き、「水分と電解質を摂りましょう」とか「体温調節を心がけましょう」とか「睡眠を十分にとりましょう」とか「ビタミンB1が重要です」とか、このようなありがたいアドバイスをいただいてから、「もう全部やってるよ」とつぶやきブラウザーを閉じる。

 そのときに思い出したことがある。それは、去年もまた、まったく同じ操作をパソコンを前にしていたということである。それどころか、少なくとも10年近くのあいだ、毎年6月から8月までのどこかの時期に、必ず同じ「夏バテ」というキーワードでネットを検索し、ありがたいアドバイスをいただき、そして、「もう全部やってるよ」とつぶやきながらブラウザーを閉じることを繰り返してきたということが曖昧な記憶から蘇ってきたのである。

 これを記憶力の低下を証する格好のよくない話として受け止めるか、それとも、自分で覚えていることから解放されたインターネット時代にふさわしいふるまいと考えるかは人によって異なるであろうが、少なくとも私自身は、前者のように理解した。つまり、暑いときには、自分の体調不良の原因を暑さのせいにして「夏バテ」を調べるが、暑さが終わってしまうと、夏バテのことをきれいに忘れてしまう、「夏バテ」の検索が夏ごとの恒例になっている自分にいくらか呆れたのである。

 年中行事のように検索しているキーワードは、「夏バテ」以外にもあるに違いない。しかし、自分の馬鹿さ加減が検索の動向からわかるというのは、ありがたいことではない。ことによると、検索履歴のデータを呼び出し、「去年の今ごろ検索していたキーワードはこれです」など教えてくれるお節介なサービスが生まれるかもしれないが、たとえこのようなサービスがあっても、私自身は、絶対に利用しない。去年の今ごろ、「夏バテ」を検索していたことがわかっても、悔しいことに、今年もまた「夏バテ」を検索しないわけには行かないからである。

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グーグルのアルゴリズムは「公平」であるが、決して「中立」ではない

 ネットで検索機能を使う者なら誰でも知っているように、すべての「検索エンジン」は、サイバースペース上にあるウェブページを閲覧し、検索エンジンごとに異なる「アルゴリズム」によって評価している。何らかのキーワードが検索されるたびに、それぞれのキーワードとの関連が強い順にウェブサイトのリンクを表示するわけである。だから、自分の作ったウェブサイトやブログを少しでも多くの人に閲覧してもらいたいと思うなら、検索結果として表示される場合の順位を上げることが必要となる。この努力のことを一般に「検索エンジン最適化」(search engine optimization, SEO) と呼ぶ。

 ところで、検索エンジンのうち、利用者のシェアが全世界でもっとも大きいのはグーグルである。(日本ではYahoo!の方がグーグルよりもシェアが大きいけれども、Yahoo!の検索サービスは、グーグルのアルゴリズムを採用しているから、Yahoo!のシェアの問題は、無視しても差し支えない。)

 したがって、検索結果として表示される順位を上げるSEOは、グーグルのアルゴリズムを標的として進められることになる。

 ただ、グーグルは、検索結果として表示されるウェブサイトの順位を決めるアルゴリズムをたえず小幅に――しかも、当然のことながら予告なしに――変更しているらしく、SEOは、この変更をあとから追いかけるものとならざるをえない。

 もちろん、グーグルのアルゴリズムを変更するのは人間であるけれども、これを個別のウェブページに適用し、検索結果に表示する順位を決めるのは機械である。このかぎりにおいて、グーグルのアルゴリズムは「公平」であると言うことができる。

Google ウェブマスター向け公式ブログ

 ただ、アルゴリズムをどのように変更するか決めるのは、機械ではなく人間である。この点に関し、上の「ウェブマスター向け公式ブログ」には、次のように記されている。

検索ユーザーが素晴らしいサイトを見つけて情報を得る、その手助けのために Google は多くの検索アルゴリズム変更を行っています。私たちはまた、検索アルゴリズムだけの為でなく、ユーザーの為に優れたサイトを作っている方々の努力が、きちんと報われてほしいと考えています。

 「ユーザーの為」の「優れたサイト」が検索結果の上位に表示されることは、それ自体としてはつねに好ましいことである。問題は、「ユーザーの為」の「優れたサイト」の基準をグーグルが決めている点である。言い換えるなら、インターネットにおける検索サイトの使い方を決め、優先的に「手助け」を受けるべきユーザーを決め、これにより、インターネットの使い方自体を決めているのがグーグルである。このかぎりにおいて、グーグルは、「公平」であるとしても「中立」ではないのである。

 しかし、当然のことながら、アルゴリズムが導き出す評価は、結果としては人間による評価と似たものとなるとしても、検索結果を決定する手順は、人間による評価の手順とは似ても似つかないものである。どれほど人工知能が発達しても、アルゴリズムユーザーがネットに求めているものを正確に予測することは不可能であるように思われる。

ネットでカネを稼ごうと思うなら、「アルゴリズムの奴隷」となる以外に選択肢はない

 それでも、ウェブサイトやブログで小遣いを稼いだり、生活の糧を得たりすることを望むのなら、グーグルのアルゴリズムがどれほど頻繁に変更されようとも、また、グーグルがどれほど横暴であるとしても、これに不満を漏らすべきではない。あくまでも「アルゴリズムの奴隷」として、グーグルの顔色をうかがいながら、アルゴリズムの変更に怯えながら日々を過ごす他に選択肢はないと考えるべきである。

 なぜなら、ブログやウェブサイトを見つけるときには、閲覧者の大半(おそらく80%以上)がグーグルの検索結果を頼りとするからである。グーグルのアルゴリズムを考慮せず、SEOを怠るなら、検索エンジンに導かれた閲覧者が減少し、その結果、アフィリエイトに代表される収入が減ることを避けられないはずである。

 ネット上には、「SEOが成功した」「SEOはこうすれば上手く行く」などの自慢話が溢れている。しかし、このような自慢話は、「奴隷の鎖自慢」と本質的に同じものであり、見方によっては痛々しくない。インターネットが作るサイバースペースは、本質的には自由であるけれども、そこにもやはり、奴隷はいるのである。

 なお、「奴隷の鎖自慢」という表現は、もともと、アメリカの詩人であり劇作家であったリロイ・ジョーンズ(LeRoi Jones)(別名アミリ・バラカ(Amiri Baraka))(1934-2014) の言葉「鎖は奴隷の自慢の種である」(the chain is slave's boast) に由来する。

 ネット上で本当に自由になりたいと思うなら、グーグルのアルゴリズムを考慮することなく、SEOに煩わされることなく、誰が見ようと――あるいは、見るまいと――関係なく、書きたいことを書き、発表したいことを発表すべきであろう。検索結果の順位が高くなるとしても、それは、やりたい放題やったことに附随する結果にすぎないと考え、一喜一憂しないのがネット上で何かを発信する際の理想であるに違いない。

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