AD HOC MORALIST

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デジタル断食してみた

 今年に入ってから、「デジタル断食」を何回か自宅で実行した。期間は、1回につき24時間であった。

 デジタル断食またはデジタル・デトックス(digital detox) は、インターネット接続を完全に遮断した状態で時間を過ごすことを意味する。ネットによって汚染された脳をデトックス、つまり解毒するわけである。

 「デジタル断食」などと勿体ぶった名称が与えられ、ネット上では何か苦行のように語られているが、何か技術が必要となるわけではない。ネットに接続する機器に触らなければよいだけの話である。具体的に言えば、スマートフォン、タブレット端末、パソコンなどの電源を切れば、準備は完了となる。

 私の場合、1日目(休日)の就寝時にネットにつながるすべての機器の電源を切り、2日目(これも休日)は、起床から就寝まで、上記の機器には一切手を触れず、3日目(平日)の朝から、必要に応じて機器の電源を入れた。眠っている時間を入れると、1回のデジタル断食の期間は36時間くらいになったはずである。(なお、私は、デジタル機器と一緒にテレビの電源もオフにした。)

 ただ、すべきことは実に単純であるけれども、デジタル断食を最初に試みたときには、禁断症状が起きた。毎朝、起きると真っ先にパソコンの電源を入れてメールとニュースをチェックするのがルーチンになっていたから、パソコンの電源を入れられないと、気持ちがどうしても波立ってくる。指先がムズムズしてくる。また、何もすることがないと、ふたたび指先がムズムズしてくる。朝食をとりながら手もとにある雑誌を読み、何とか心を落ち着かせた。

デジタル断食の本質は「手持ち無沙汰」との闘いにある

 当然、外出するときにも、スマートフォンは自宅に置いたままである。私のスマートフォンには、ゲームのアプリもSNSのアプリも最初から入っていない。また、私は、買いものや用件のメモには紙のメモ帳を使うことにしているから、スマートフォンが手もとになくても実質的に困ることは何もないはずであった。

 それでも、携帯電話を持たずに外出するのは不安だった。靴を履かずに外を歩いているのに似た感覚に襲われた。

 結局のところ、デジタル断食の本質は、「手持ち無沙汰」で落ち着かない気持ちとの闘いであり、非常に多くの生活時間をデジタル機器と向き合うことで消費してきたことに気づき、これを取り戻すための闘いでもある。しかし、心が何となく波立つような感じをしばらく我慢していると、やがて、ともかくも何か生産的なことをしようという気持ちになってくる。つまり、デジタル機器の使用によって占有されていた穴が自然な仕方で埋められて行くのである。デジタル断食の当日、私は、掃除したり、片づけたり、近所に買いものに出たり、本を読んだりして、それまで何となく先延ばしにしていた用事を片づけ、夜は、そのまま本を読みながら就寝した。

 注意すべき点は、デジタル断食の日に雑用を片づけることを最初から予定していたわけではないことである。手持ち無沙汰に耐えかねて周囲を見渡しているうちに、「掃除でもするか」「読書でもするか」という気持ちが自然に生まれてきたのである。デジタル機器を使わなければできない用事は、メモ帳に書きとめておき、翌日になって片づけた。(ネットでの調べもの、ネットでの買いもの、メールでの連絡などである。)この観点から考えるなら、デジタル断食は、自宅で行う方が好ましく、たとえばわざわざ自宅から出てどこかで合宿するのは、デトックスの効果を損ねる選択であることになる。

デジタル断食をすると、デジタル機器の使用がいかに時間の浪費であるかがわかる

 デジタル断食の最大の成果は、スマートフォン、パソコン、タブレット端末を使うことで、貴重な時間がいかに浪費されているかがわかるという点にある。実際、これらの機器を使わなければ済ませられない用事、あるいは、これらの機器を使うことで時間や手間を節約することができる用事というのは、生活の中にそれほどたくさんあるわけではない。デジタル断食によって、今がデジタル機器を手に取るべきときであるのかどうかの見きわめが自然にできるようになり、たとえば必要もないのにスマートフォンをいつまでもいじるような時間の無駄遣いを避けることができるようになる。

 月に1度でもよい、あるいは、半年に1度でもかまわない。すべてのデジタル機器、光を放つすべての画面を視界から排除することにより、時間の遣い方に関する正常な感覚を取り戻すことができるように思われるのである。

【関連する記事】

無為を自分に強いることについて、あるいは「手持ち無沙汰」と生産性について 〈私的極論〉 : アド・ホックな倫理学

「なすべきこと」を「何となく」やりたくないとき 勉強したくない、本を読みたくない、会社に行きたくない、家事をやりたくない......、人は、このような気分に陥ることが少なくない。身体を動かすことすら面倒くさいともある。そして、このような気分は、労働の生産性をいち








つながらない生活 ― 「ネット世間」との距離のとり方
ウィリアム・パワーズ
プレジデント社
2012-01-27

つながりすぎた世界
ウィリアム・H・ダビドウ
ダイヤモンド社
2012-04-20




Texting addict

他人との交流の多くがネットで行われる中、あえてSNSを利用しないティーンがいる。友達からの「いいね」を求める生活を拒否し、フェイスブックやインスタグラムも利用しないが、彼らは何を得て何を失っているのだろうか。

情報源: 米国ではSNSに背を向ける10代も - WSJ        

 スマートフォン依存症、SNS依存症、ネット依存症というのは、自覚しにくい病気であるのかも知れない。しかし、日本でも外国でも、これは、明らかな「病気」と認められているし、国立病院機構久里浜医療センターにはネット依存症外来というのがあり、必要とあれば入院もできる。(もっとも、入院して治療することが想定されているのは、主に「ネトゲ廃人」らしいという話は聞いたことがある。)

 スマートフォンに関して最初に出てきたのは、スマートフォンの使用時間が長いほど成績が悪いという総務省の統計だった。つまり、スマートフォンの使用時間と成績のあいだには負の相関関係が認められるのである。とはいえ、スマートフォンをいじっていれば、勉強時間がその分減ることは明らかであり、成績が落ちることは、統計などとらなくても明らかなことかも知れない。

 しかし、その後、スマートフォンをいじっていると脳に悪い影響があるとか、うつになる――アメリカでは、もう何年も前から、フェイスブックの使用がうつを惹き起こすということがしきりに語られていた――とか、さまざまな研究結果が明らかになってきた。

 そして、きわめつけが次の本である。

毒になるテクノロジー iDisorder
ラリー D.ローゼン
東洋経済新報社
2012-08-24

 
  これは、インターネット、特にSNSの使用と各種の神経症との関係を、実験や調査を活用しながら分析した本である。これによると、SNSの使用は、

  • 自己愛パーソナリティ障害(ナルシシズム)
  • 強迫神経症
  • 依存症(スマホ中毒、SNS中毒)
  • 双極性障害(躁とうつ)
  • ADHD(注意欠陥/多動性障害)
  • コミュニケーション障害
  • 心気症
  • 摂食障害/身体醜形障害
  • 統合失調症
  • 覗き見趣味

などの神経症の原因となりうるか、あるいは、少なくとも、これと相関関係にある。

 スマホの使用は、そして、SNSの使用は、精神衛生にとってきわめて有害である。電車の中でスマートフォンを飽くことなくいじり続けている人間は、もはや正真正銘の病人あるいは障碍者と見るべきなのであろう。

 これまでは、路上での「歩きスマホ」の歩行者からぶつかられるたびに、不快な思いをしていたが、これからは、視覚障碍者と同じだと考え、同情することにしようと思う。

 ただ、私は、視覚障碍者には状況によって「お手伝いしましょうか」と声をかけるが、もちろん、スマホ中毒患者には声はかけない。聞こえないかも知れないからである。

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