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私たちはトランプについてよく知らない

 アメリカの大統領選挙が2016年11月8日に実施され、ドナルド・トランプが当選した。

 選挙期間中、トランプは、膨大な量の言葉をアメリカ国民および外国人に向かって投げかけたけれども、私たちの手もとに届けられた言葉は、大統領に就任したときの具体的な政策の細部を教えるものではない。一方において、私たちは、今のところ、この点に関し断片的な情報しか持っていないと言うことができる。

 しかし、他方において、アメリカの内政と外交は、途方もない数の利害関係者を持つ。アメリカの影響を一切受けない者は、地上にはいないはずである。そして、おそらくそのせいなのであろう、少なくとも2016年11月の時点では、本人を除く世界中のすべての人間が、これから始まる4年間について、それぞれ勝手な期待を抱き、この期待を勝手に表明しているように見える。いや、当選後のトランプ自身の発言を見るかぎり、本人もまた、実現すべき具体的な政策をあらかじめ持っているわけではなく、個別の具体的な状況のもとで「アド・ホック」に政策を決めることを原則とすることに決めたようにも見える。

「きれいごと」の政治から「力まかせ」の政治へ

 今後4年間のアメリカは、これまでの8年間とは異なり、また、さらにその前の8年間とも異なる顔を私たちに見せるはずである。オバマが大統領であった8年間のアメリカは、国内に対しても、また外国に対しても、美しい理想を語り、これを押しつけてきた。さらに、その前のブッシュも、内容はオバマと異なるけれども、理想を大いに語る点において違いはない。21世紀のアメリカでは、よく言えば「格好のよい政治」が追求されてきたのである。しかし、これは、悪く言えば、皆が「きれいごと」を身にまとい、具体的な問題には誰も責任をとらない政治、「表裏のある政治」が続いた8年間でもある。(英語圏のマスメディアでは、トランプの政治的な姿勢に関し、”post-truth”(=「真理にもとづかない」)や”post-factual”(=「事実にもとづかない」)などの表現が用いられてきたけれども、また、アメリカの新しい政権が白人を煽ることに終始するかどうか、これは予測できないけれども、見方によっては、「真理」にも「事実」にももとづかないのは、むしろ、理想ばかりが語られてきたこの16年間の政治の方であったと言えないことはないように思われる。)

 そして、今後4年間のアメリカは、これとは反対に、理想をあまり語らない政治、「力まかせ」の政治、結果によってのみ評価される政治への道を辿るはずである。アメリカの社会において支配的であると考えられてきた価値観のいくつかに自覚的に逆らう――女性への蔑視や軍人への批判――ことを繰り返し語った候補が当選したという事実は、重く受け止められるべきであろう。だから、トランプの当選を根拠として「アメリカ社会の変質」を語るのはまだ早いと私は考えている。これは、きれいごとばかりが並び、理想がインフレーションを起こし、誰もこれを文字どおりには受け取ることができなくなった状況に対する国民の嫌悪の現われにすぎないかも知れないからである。

変化にはすぐに順応してしまう

 冷静に考えるなら、政治家が語る美しい理想というのは、国民の目を現実から逸らし、政策の失敗を隠蔽する手段であると言うことができないわけではない。そもそも、政治家は、理想や意図ではなく、結果によって評価されるべき存在であり、この意味において、これからの4年間は、政治が正道に回帰する4年間になるかも知れない。

 たしかに、最初のうち、世界は、この「逆コース」に強い違和感を覚えるかも知れない。この逆コースは、無軌道でも無秩序でもないけれども、少なくともリベラルの目に、トランプのアメリカは、民主主義に対する一種の挑戦と映るはずである。

 しかし、アメリカ人はよくわからないが、少なくとも平均的な日本人は、1年もしないうちに、アメリカの新しい体制に慣れてしまうであろう。一般的には、新しい状況にすぐに順応し、昔のことを忘れてしまうのは、決して好ましいことではない。ただ、今回の場合、理想を多く語らぬ政治、力まかせの政治が登場することにより、オバマの8年間が日本(と世界の多くの国)に与え続けた「軽いがっかり感」から解放されることは確かであるように思われる。