AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

タグ:バブル

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国民全員が景気回復を「実感」するなど、ありえない

 統計上は景気が回復、拡大しているのに、「国民」には「実感」がないと言われる。これは、1990年代の初めにバブルが崩壊してから現在まで、少なくとも月に1度はマスメディアが報じてきたテーマである。

 データの面での景気の回復と「国民」の「実感」のあいだの乖離が飽きるほど繰り返し取り上げられてきたのは、次のように信じられているからであるに違いない。すなわち、本当の意味における景気の回復とは、「景気が回復した」と全国民が「実感」するものでなければならず、計算上の景気がどれほど拡大しても、国民が「実感」しないかぎり、景気が回復したことにはならない、このように信じられてきたのである。

 たしかに、高度経済成長期には、全国民が景気の拡大や経済の成長を実感していたからもしれない。そして、このような状況を景気の回復と見なすかぎり、たしかに、現在のわが国の景気は、決して「よい」とは言えないであろう。

 しかし、長期にわたる高い経済成長というのは、決して正常な状態ではない。むしろ、わが国の高度経済成長がのちの時代に与えた影響は、決して好ましいものではなく、むしろ、時間の経過とともに、「負の遺産」の方が目立つようになっているように見える。

 だから、全国民が景気の拡大の恩恵に与らないかぎり景気が回復したことにならない、というのは幻想であり、むしろ、国民の「実感」なるものを指標にして景気を語ることは、経済の現状を、そして、政府の経済政策、財政政策、金融政策を誤らせることになる危険な態度である。そもsも、景気の「実感」など、各人が置かれた状況によってまちまちであり、全「国民」が「実感」を共有するなど、ありうべからざることであるに違いない。

「実感」の方が間違っている

 以前、次の記事を投稿した。


「人手不足」と言うけれど 日本の企業はバブルとその崩壊から何も学ばなかったのか : AD HOC MORALIST

最近、人口の減少のせいなのか、人手不足に関連するニュースをよく見かける。コンビニエンスストアやファミリーレストランが24時間営業をやめることが、しばらく前に大きな話題になっていた。私も、しばらく前、この話について、ブログに記事を投稿した。テレビがまず24時


 1980年代の終わりから1990年代の初めのいわゆるバブル期には、すべてのものが――私にとっては不当に――高く、私にとっては、決して暮らしやすい時代ではなかった。悪夢のような時代であったと言ってもよい。あのころのような状況を「景気がよい」と呼ぶのなら、私は、「景気がよい」ことなど望まない。むしろ、「国民」の多くが景気の回復を「実感」しない現在の方がよほど好ましい時代であると思う。そもそも、現在(2017年)のGDPは、バブル期のGDPのおよそ1.3倍あると言われている。これは、いわゆる「国民」のいわゆる「実感」なるものから大きくへだった事実であるかもしれないが、むしろ、「実感」の方を疑うべきなのではないかと私は考えている。(景気の状況に関する「実感」の比較など不可能であり、この単純な事実は、すでにそれ自体として、「実感」が景気回復の指標とはなりえないことを示している。)政府は、「国民」の景気の「実感」を改善して国民を甘やかすのではなく、むしろ、日本の経済や社会制度が抱え込んでいる構造的な問題の解決に手間と時間をかけるべきであるように思われるのである。

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 最近、人口の減少のせいなのか、人手不足に関連するニュースをよく見かける。コンビニエンスストアやファミリーレストランが24時間営業をやめることが、しばらく前に大きな話題になっていた。私も、しばらく前、この話について、ブログに記事を投稿した。


テレビがまず24時間放送をやめたらよい : アド・ホックな倫理学

昨日、NHKで次のような番組を観た。続ける?やめる? "24時間型社会"ニッポン - 放送内容まるわかり! - NHK 週刊 ニュース深読み 最近、24時間営業をやめるコンビニエンス・ストア、ファストフード店、ファミリーレストランなどが増えてきたというニュースが取り上げら

 たしかに、企業にとっては、特に、非正規雇用の従業員に労働力を依存している業界にとっては、人手不足は、深刻な問題ではあるに違いない。しかし、このような業界の人々には申し訳ないけれども、私自身は、非正規雇用の従業員を低賃金で使ってきた業界が人手不足に悩むのを見ても、同情したり、経営者の身になったりする気にはどうしてもなれない。むしろ、「ああ、バカだな」という感想がどうしても心に浮かんでしまう。

 1980年代末から1990年代初めのバブル景気の時代は、私が大学生であった時代と正確に重なる。大学に入学してまもなく、景気の拡大が始まって物価が上昇し、社会全体に成金が溢れ、一種の狂乱状態が出現した。そして、大学を卒業してからしばらくして、景気が急激に後退し始めた。そこにもまた、狂乱状態はあった。それは、ケチと安売りに狂奔する者たちが作り出す狂乱状態であった。

 1980年代も90年代も、私のような職業の人間には、決して楽しい時代ではなかった。それでも、本を読みながら、視界の隅で社会の大きな変転をリアルタイムで観察し続けたせいか、その後、いくら景気の変動があっても、まったく驚かなくなった。これは、実に貴重な経験であったと思う。景気の変動に翻弄される人間の愚かさや悲哀は、1980年代末から90年代初めにすべて見てしまったような感じがするのである。だから、人手不足の話を聴いたとき、私は、既視感に襲われた。

 現在、人手不足に悩んでいるということは、日本の企業経営者が、バブルとその崩壊から何も学ばなかったことを意味する。たとえ人口が減少しないとしても、景気が拡大することがあるとするなら、労働力は必ず不足し、アルバイトに代表される非正規雇用の従業員の賃金は上昇する。実際、バブルのころ、多くの企業はこれに苦しめられたはずである。そして、(みっともないことに、)人件費の上昇を抑えるため、正社員を必死になってかき集めていたはずである。

 これが、「フリーター」という言葉が生まれ、フリーターという「職業」が成り立った時代背景である。当時は、時給に換算すると、アルバイトとして働く方が正社員になるよりも多くの賃金を得ることが可能であった。「正社員など、なろうと思えばいつでもなれる」ことを前提に、あえてフルタイムの仕事には就かず、好きなことを積極的に追求する者が、もともとは「フリーター」と呼ばれたのである。「フリーター」が「正規の職に就くことができない貧乏人」を意味するようになったのは、バブル崩壊後のことである。

 それにもかかわらず、バブル崩壊後、外食や小売の業界では、多くの企業が人件費を抑制し、短期的な利益を上げるため、非正規雇用の従業員の労働力に依存するようになった。私などにくらべれば、はるかに現実感覚のあるはずの企業の経営者たちには、景気がふたたび拡大するとき、アルバイトの賃金が急激に上昇し、経営が成り立たなくなることが予想できなかったはずはないのであるが、実際には、彼らの考えは、バブルが過熱していたころの苦い経験を忘れないという単純なことにすら及ばなかったようである。

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