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Photo by Ben White on Unsplash

他人の親切は負担になることがある

 私は、知り合いからプレゼントをもらうのが苦手である。なぜなら、もらったプレゼントには何らかの仕方で返礼しなければならないからである。

 もちろん、私の知り合いがプレゼンとするとき、私に「貸し」を作ることを意図しているわけではないであろう。

 実際、私が誰かにプレゼントしたとき、即座に返礼の品物が贈られてきたら、私は気を悪くする。残念ながら、私の周囲にいる知り合いのかなりの部分は、私からのプレゼントに対しこのような行動をとり、私は、そのたびに不快になる。(私は、よほど信用されていないのであろう。)

 最近、私は、誰かにプレゼントしたり、手土産を持って誰かに会いに行ったりすることがずいぶん少なくなった。モノが介在する関係は、私にとっては、あまり楽しいものではないからである。このような関係に巻き込まれることは、モノにとってもまた不幸であるように思われる。

本当に親しい相手からのプレゼントは、負債ではなく宝物

 このように、私にとって、プレゼントは一種の負債となり、返礼するまでは気分が落ち着かないことが多いけれども、プレゼントを贈られても、まったく負い目を感じない相手というのがいないわけではない。そのような知り合いこそ、私にとって本当に親しい相手であり、私は、もらったプレゼントを、その値段や世間における価値とは関係なく、心から大切にするはずである。

 そして、このことは、私が現に大切にしているものを私に贈ってくれた相手こそ私にとって大切な存在であることを意味する。言い換えるなら、私の持ち物から、私が大切にしているものを選び出し、そして、それがどこから来たものであるかを確認することにより、私が誰を大切に思っているかがわかるのである。

「サプライズ」が成功するかどうかも相手との関係次第

 だから、いわゆる「サプライズ」が成功するかどうかもまた、相手のことをどの程度まで信頼しているかによる。

 相手を喜ばせるためにサプライズを仕掛け、実際にこれを実行しても、相手がまったく喜ばないばかりではなく、反対に、相手のことを怒らせたり不快にさせたり困惑させたりする危険がある。このような危険を避けるには、相手を慎重に選ぶことが必要となる。

 私自身は、サプライズを仕掛けるのも仕掛けられるのも、両方とも苦手であるけれども、もし誰かに対しサプライズを計画するなら、その相手からもらったプレゼントを私がどのくらい大切にしているか、胸に手を当てて考えてみる。相手からもらったものを私が大切にしているのなら、サプライズを仕掛けても喜んでもらえるであろうし、サプライズを仕掛けられても喜んで受け止めることができるはずである。(反対に、サプライズを仕掛けることで不快にさせたり怒らせたりしてもかまわないと考える相手にサプライズを仕掛けると、ほぼ間違いなく、相手に不快な思いをさせることになる。相手のことを大切に考えていないからである。)