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By Édouard Manet - twELHYoc3ID_VA at Google Cultural Institute maximum zoom level, Public Domain, Link

 「日本の男性の女性に対する態度は性差別主義的か。」この問いに対し、私は、「全体としてはイエス」と答える。

酒の席での「男子トーク」では悪い意味での「男らしさ」が発揮される

 私は、「男らしさ」があまり好きではない。もちろん、「勇気」「謙虚」「公正」などの美徳を体現するふるまいを「男らしい」ふるまいと呼ぶなら、このような意味での男らしさには何の問題もない。(ただ、このようなふるまいは、男性に固有のものではないから、厳密に考えるなら、これを「男らしい」ものとして評価するのは性差別主義的である。)

 しかし、私は、男性に固有の女性に対する態度、特に、「酒の席で」「複数の男性のあいだで」醸成される女性に対する態度を見ると、つねに気持ちのよくないものを感じる。私が酒を飲まないからであるのかも知れないが、私には、昔から、どうしても「男子トーク」(?)には入り込むことができない。いや、そもそも、特定の状況のもとで女性に対し最低限の礼儀を守ることができなくなる男性が多いのがなぜなのか、私にはよくわからないのである。

 私は女性ではないから、女性に対する男性の即物的なまなざしを女性がどのように受け止めているのか、想像する他はないけれども、それは、「バカバカしい」と感じられるとともに、場合によっては軽い恐怖を惹き起こすものでもあるように思われる。私ですら、同じひとりの人間がシラフのときとはまったく異なる貌を見せるのを目撃し、気味が悪くなったことが何回もある。私は、セジウィックが「ホモソーシャル」と名づける状況がひどく苦手なようである。

男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望 | イヴ・K. セジウィック, Eve Kosofsky Sedgwick, 上原 早苗, 亀沢 美由紀 |本 | 通販 | Amazon

ホモソーシャルは、女性に対する無関心の反映

 ところで、今月(2016年11月)になってから、マタニティマークに関する連載記事がNHKのウェブサイトに掲載されている。(今日の時点で第3回まで読むことができる。)

マタニティマークがつけられない|NHK NEWS WEB

マタニティマーク 不安が引き起こす動き|NHK NEWS WEB

マタニティマーク 警鐘鳴らす専門家|NHK NEWS WEB

 マタニティマークが2006年に作られ、少しずつ普及するようになってから、私は、公共の交通機関でこのマークをつけている女性を見かけると、大抵の場合、席を譲るようにしてきた。たしかに、子育てというものは、両親が中心となって進められるべきものであるが、社会の応援は、いかなる状況のもとでも必要不可欠である。電車で席を譲るというのは、安上がりな「ちょっとした親切」であり、しかも、誰にでもできる簡単な応援であるにもかかわらず、社会全体が子育てを応援しているという「雰囲気」を作るのにはとても効果がある。(なお、同じ理由で、私は、電車で出入り口の脇のスペースに立っているとき、ベビーカーを押している女性が乗車するのを見つけたら、事情が許す範囲で、この出入り口の脇のスペースを譲ることにしている。このスペースにベビーカーを寄せると、ベビーカーを両手で抑えている必要がなくなるからである。)

 ただ、上の連載記事を読むと、妊娠した女性がマタニティマークをつけることに対し、必ずしも肯定的な印象を持っていない人が多いことがわかる。私自身は、このような人々の意見に必ずしも同意しないけれども、席を譲りたくないのなら、マタニティマークには強制力などないのだから、無視すればよいだけの話である。(もっとも、「マタニティマークをつけるべきではない」と要求する権利は誰にもない。)

 それでも、マタニティマークをつけた女性を見つけたら、少なくとも男性は、席を積極的に譲るのがよいと私は考えている。私自身を含め、男性は――子育てに対するコミットの程度に関係なく――全体として女性に対し恐ろしいほど無関心であり、したがって、自分とは異なる視点から社会を眺めることに無関心である。そして、この無関心が不気味な「男らしさ」を産み出し、性差別主義的と受け取られかねないような態度を産み出しているような気がする。だから、マタニティマークーー驚くべきことに、60歳代以上では、6割以上がマタニティマーク自体を知らないらしい――に気を配り、積極的に席を譲ることは、異質なものに目を向けることにより、自分の「男性性」(?)を相対化するための最初の一歩となるはずである。