AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

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なぜマスコミは「マスゴミ」と言われてしまうのか

 発行部数の多い全国紙やNHKなどのマスコミのことを貶める表現に「マスゴミ」がある。この言葉を使う人は、「コ」に濁点を加えることにより、マスコミがゴミのように無価値であること、あるいはゴミとして斥けられるべきものであることを言いたいのであろう。

 私自身、現在のマスコミのあり方に何の問題もないとは思わない。実際、朝日新聞による慰安婦に関する捏造記事を例に挙げるまでもなく、新聞やテレビの報道には大小の誤報、虚報が多く含まれているばかりではなく、ニュースとして取り上げる出来事の選択、論評や評価の観点に違和感を覚えることも少なくない。

 しかしながら、このような点に注目し、これをマスコミの犯罪と見なして「マスゴミ」などという汚い言葉を使う前に、3つの事実に注意する必要があると私は考えている。

1. 統計は、平均的な日本人がマスコミに対し最低限の信頼を寄せていることを示す

 第1に、マスコミに認められるこのような問題にもかかわらず、次の記事が示すように、平均的な日本人は、マスコミに対しておおむね信頼を寄せている。

新聞一番テレビが二番...メディアへの信頼度、テレビと新聞の高さ継続(2016年)(最新) - ガベージニュース

 なぜ伝統的なメディアである新聞やテレビがこれほど高い信頼を獲得しているのか、この点については、いろいろな解釈が可能であるけれども、少なくとも、次の2つの点は間違いないように思われる。

1.1. マスコミは「事実とされていること」の標準を示す役割を担っている

 まず、マスコミを信頼するとは、その報道姿勢を全面的に肯定し盲信することを意味しない。むしろ、マスコミに対する信頼とは、報道が、国の将来や国民の生活にかかわる重大な出来事に関し一人ひとりがみずからの意見を獲得するための最初の手がかりであること、つまり、雑に言うなら、「世間では一応正しいされていること」「議論の前提になる情報」が新聞やテレビにあるという意味であると考えるのが自然である。

 実際、ネット上の言論、特に右寄りの言論は、「マスゴミ」などという表現を使ってマスコミを貶めているけれども、現実には、みずからが「マスゴミ」と呼ぶ全国紙やテレビの報道に全面的に寄生している。「マスゴミ」が姿を消してしまったら、ネット上の言論は、偽ニュースと噂話の無秩序な堆積、つまり、みずからが文字通りの「マスゴミ」になってしまうに違いない。

1.2. 中立公正は、媒体の1つひとつが目指すものではなく、マスコミが全体として目指すもの

 また、マスメディアは、全体として「事実とされるもの」の輪廓を公衆に提示すればよいのであり、たとえば産経新聞や朝日新聞などの具体的な媒体の1つひとつが中立公正であることは必要ではない。実際、このようなことは不可能であろう。

 大切なことは、ある媒体がある方向へと偏った報道を試みるとき、このような媒体とともに、これを批判し是正する役割を担う媒体が言論空間に併存しうることである。言論空間の内部で働く引力や斥力が全体として報道を中立公正へと向かわせるものであるかぎり、マスコミは全体として十分に信頼に値するものであると言うことができる。

 もちろん、報道の中立公正が引力と斥力のバランスの結果として目指されるべきものであるとするなら、この意味における中立公正には、言論の自由と多様性が絶対に必要となる。ジョン=スチュアート・ミルは、『自由論』において、言論の自由が保証され、多様な言論が許されているかぎり、正しい報道とすぐれた意見だけが選択されるはずであることを主張している。私は、言論の自由の力をここまで無邪気に信じる気にはなれないけれども、それでも、慰安婦に関する朝日新聞の捏造報道が典型的に示すように、偽ニュースは――時間はかかるとしても――やがてその正体を露呈することを免れられないに違いない。そして、このかぎりにおいて、日本のマスメディアの相対的な健全性に信頼を寄せて差し支えないと私は考えている。

2. マスコミについて国民が感じる「偏向」は、言論の自由が認められた社会に共通のもの

 第2に、報道に対する基本的な信頼は、日本にのみ認められるものではなく、たとえばアメリカでも同じである。たしかに、去年の大統領選挙においてドナルド・トランプに投票した有権者の多くは、メディアの報道に偏向を感じとっていた。この点は、日本と同じであるかも知れない。実際、マスメディアの報道を信頼する国民の割合は、アメリカでは32パーセントしかいない。表面的には、これは日本に比べていちじるしく低い数値である。

Americans' Trust in Mass Media Sinks to New Low

 それでも、アメリカでは、(どれほど偏向しているように感じられるとしても、)公共の利益にかかわる重大な出来事に関するメディアの発信が根本的に虚偽である――つまり、偽ニュースである――とまで考える者は少数派にとどまる。国民がマスコミに認める問題というのは、日本に固有のものではなく、言論の自由が基本的に認められているすべての社会に共通するものであると考えるべきである。

3. 「マスゴミ」という言葉を使う者にかぎってメディア・リテラシーが欠けている

 そして、第3に、「マスゴミ」という言葉を使う者たちのメディア・リテラシーの問題がある。マスコミについて、「信用できない」「マスゴミである」などと公言する者のすべてを知っているわけではないが、少なくとも、私が直接あるいは間接に知る範囲では、このような仕方でマスコミに対する不信感を表明する者のメディア・リテラシーはかなりお粗末なのが普通である。

 そもそも、彼ら/彼女らは、記事を1本書くために記者が何をどのように取材するのか、あるいは、取材した記者が書いたものがどのようなプロセスを経て記事として完成し、紙面に組み込まれて私たちの目に触れるのか、このような点について何も知らないまま、偏向を批判したり、「外国政府がマスメディアを操っている」などという憶測を口にしたりしているように見える。私自身、報道の現場で働いたことは一度もないけれども、また、報道機関がニュースに認める価値と事実としての重要度が決して一致しないことは何となくわかるけれども、それでも、報道機関がみずからの公的性格を完全に忘れ、ただ「反日」を煽り視聴率を狙うなどありえないことくらいは、私にもわかる。

 おそらく、ネット上で右寄りの言論にコミットしている者たちのうち、少なくはない部分は、自分のカネで新聞を購読してはいないであろう。以前、新聞の購読料について、次のような記事を書いた。


新聞の購読料は公論の形成のための献金である : AD HOC MORALIST

「ニューズウィーク」でアムウェイの記事広告を見つける 昨日、ニューズウィーク日本版のウェブサイトを見ていたら、次のようなページが目にとまった。人々に選ばれる製品を生む「アムウェイ」の哲学 ツイッターを見ると、このページを見た人の多くが、これを「ニューズウ

 新聞の購読料は、情報の代金なのではない。それは、公論を形成するために国民がなすべき献金なのである。

 新聞の報道姿勢について納得することができない――そのような偉そうなことを言えるほどのメディア・リテラシーを具えた日本人は全部で千人もいないであろうが――としても、複数の全国紙や地方紙、週刊誌や月刊誌などを実際にある期間購読し、比較しながら吟味したことがない者には、メディアについて何か意味のある(とみずから信じる)ことを語る資格などないと考えるべきである。朝日新聞から産経新聞まで、あるいは、赤旗から世界日報まで、多種多様な新聞を読んだ経験がなければ、「マスゴミ」への批判は、浅薄な偏向批判や陰謀論となり、公共の言論空間をノイズで満たすことになるばかりであろう。

 当然、NHKの受信料の支払いを公然と拒絶する「愛国無罪」など、許されるわけがない。


NHKに文句があるなら、まず受信料を支払うべき 「愛国無罪」など通用しない : AD HOC MORALIST

受信料を支払わない者に文句を言う資格はない NHKに受信料を支払わず、これを滞納し続けたり、あるいは、確信犯的に支払いを拒否したりする者がいる。しかし、このような行動は、私にはまったく理解することができない。 20年以上前、まだNHKが受信料を集金していたころ、

大学を中退する人は年間8万人余り。5人に1人が「お金がない」ことが原因だと回答。中退後、安定した職に就けず、奨学金の返済ができなくなる「中退難民」が相次ぐ。背景のひとつが「晩婚化」だ。高齢の親が年金だけで学費を支払えず、子どもが自力で学費を捻出しなければならないケースが続出。さらに熟年離婚やリストラなどのリスクも重なり、「お金がなくて学べない」学生が増えている。中退難民を防ぐには何が必要か考える。

情報源: NHKオンデマンド | クローズアップ現代+ 「奨学金破産の衝撃(2)~“中退続出”の危機~」  




 上の番組を見て考えた。たしかに、奨学金破産は、これだけ切り出して見れば、明らかに深刻な問題である。実際、出演者たちも、深刻そうな顔をしていた。しかし、借金までして大学に行こうと思うなら、当然、「大学で従事する学術研究」について、それなりの覚悟や自覚が先立っていたはずである。


 反対に、自分の経済状況を冷静に考えることもなく、また、勉強への覚悟も自覚もなしに大学に進学したのなら、それは、リテラシーが低すぎるとしか言いようがないし、同情のしようもない。
 そもそも、大学で勉強というのは、(「卒業できさえすれば何でもかまわない」というのならともかく、)本格的にものにしようと思うのなら、アルバイトと簡単に両立させられるほど甘いものではない。実際、匿名でインタビューに応じていた大学生や元大学生からは、「どうしても大学でこれを勉強しなければならない」「どれほど貧乏しようとも勉強に青春をかける」などの覚悟のにじむ発言は一つもなく、「○○を学びたかったのに・・・・・・」的な甘ったれた言葉が私の耳に断片的に残るばかりであった。

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 「何も大学に進学しなくたっていいじゃないか」「大変だってわかってて進学したんなら自己責任でしょ」などの反応は、(当然のことながら、番組では紹介されていなかったが、)社会の中には一定数あるはずである。実際、大学入学後に奨学金破産した場合、生涯賃金は、高卒で就職した方がよほど多くなるに違いない。もちろん、何時間もカメラの前でインタビューに答えても、実際に放送されるのはほんの数秒なのが普通だから、肝心の発言がカットされている可能性はある。


 「奨学金破産」の本質が、覚悟も自覚もない者のリテラシーの低さが原因の貧困であるなら、「給付型奨学金」のようなシステムにより、政府が税金を投入してその後始末や救済をすることには、社会的な同意が得られないであろう。

少なくとも私は、納税者として賛成することができない。
 まず、そこまでして大学に行く意味はどこにあるのか、当事者はまずよく考えるべきであろう。

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