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馬琴は京料理が大嫌い

 曲亭馬琴の『羇旅漫録』(きりょまんろく)は、馬琴が35歳のときに記した旅日記である。伊勢参りを目的に関西を旅した馬琴が道中で出会ったり目撃したりしたことが、馬琴自身の率直な感想とともに簡潔に記されている。

 この旅日記において特に私の注意を惹いたのは、馬琴が「京料理」というものをまったく評価していない点である。たとえば、馬琴は、次のように語っている。

京によきもの三ツ。女子。加茂川の水。寺社。あしきもの三ツ。人氣の吝嗇料理。舟便。たしなきもの五ツ。魚類。物もらひ。よきせんじ茶。よきたばこ。實ある妓女。

 馬琴の口には京都の食べものがよほど合わなかったらしく、ことあるごとに江戸の料理と比較して京料理を酷評する。まず、馬琴は、京都の魚がまずいことを指摘する。

魚類は若狹より來る鹽小鯛鹽あはび。近江よりもてくる鯉鮒。大坂より來る魚類。なつは多く腐敗す。鰻鱧は若狹より來るもの多し。しかれども油つよく。江戸前にはおとれり。鮎鮠は加茂川にてとるもの疲て骨こはし。鮠はよし。若狹の燒鮎よしといへども。岐阜ながら川の年魚などくふたる所の口にては中/\味なし。鯉のこくせうも白味噌なり。赤味噌はなし。

 さらに、馬琴によれば、この「白味噌」にも問題がある。

白味噌といふもの鹽氣うすく甘ッたるくしてくらふへからず。田樂へもこの白味噌をつけるゆゑ江戸人の口には食ひがたし。

 有名な京都の豆腐も、江戸の豆腐には遠く及ばない。

祇園豆腐は。眞崎の田樂に及ず。南禪寺豆腐は。江戸のあわ雪にもおとれり。しかれども店上廣くして。いく間にもしきり。その奇麗なることは江戸の及ぶところにあらず。

馬琴は京都人も大嫌い

 さらに、馬琴は、焼き魚が必ず半身で供されるのは、京都人がケチだからであると言い、京都人の気質に因縁をつける。

大魚の燒物は必片身なり。皿の下になる方の身はそきてとり。外の料理につかふこと大坂も又かくのごとし。京は魚類に乏しき土地なればさもあるべし。大坂にて片身の濱燒なと出すこといかにぞや。是おのづから費をはぶく人氣のしからしむるもの歟。

  また、『羇旅漫録』には、次のような一節もある。京都人が自分の家で客をもてなさないのは、その方が安上がりだからであると馬琴は推測する。

京にて客ありて振舞をするには。丸山。生洲。或は祇園二軒茶屋。南禪寺の酒店などに。一人に價何匁と定め。家内せましと稱して。その酒店え伴ひ行。是別段に客をもてなすの儀にあらず。家にて調理すれば。萬事に費あり。その上やゝもすれば器物をうち破るの愁ひあり。故にかくのごとくす。京の人の狡なること是にて知るべし

 「京の人の狡なること是にて知るべし」と記されているところを見ると、馬琴には、京都人の行動様式がよほど不快であったに違いない。馬琴が京都に出かけたのは、京料理と京都人をけなすためだったのではないかと思われるほどである。

 『羇旅漫録』で京都の食べものに対する純粋に肯定的な評価が見出されるのは、次の箇所だけである。

京にて味よきもの。麸。湯波。芋。水菜。うどんのみ。その餘は江戸人の口にあはず。

旅先の名物をうまいと思えることは少ない

 とはいえ、京都に限らず、旅行者にとっておいしいと感じられる名物料理は決して多くはない。名物料理というものがその土地に固有の自然環境や生活様式と密着しているからである。

 沖縄を旅したとき、有名なルートビアを飲んだ。

ルートビア | A&W沖縄

 沖縄は、固有の郷土食が多い地方であるけれども、ルートビアは、特別に風変りな飲み物――というよりも、本来は「飲料」ではなく「煎じ薬」――である。私は、あの湿布薬のにおいに耐えられず、コップの半分くらいで飲むのをやめた。(個人的には、カネをもらっても飲みたくない。)

 けれども、沖縄では、ルートビアは、街頭の自動販売機で売られている普通の清涼飲料水である。沖縄に固有の味覚は、沖縄に固有の自然環境や社会環境と一体のものなのであり、現地の人々と生活様式を共有することができるなら、ルートビアをおいしく飲むことは可能であるに違いないのである。

 私自身は、最近は、旅先で地元の名物を食べることは最初から諦め、どこにでもあるような飲食店で済ませることにしている。苦労して名物料理の店を見つけて食事しても、その味が苦労に見合うものであるようには思えないからである。

 やはり、誰にとっても、自分が暮らしている土地で食べ慣れた料理が、心身の健康にとってもっとも好ましいということになるのかもしれない。