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黙っていればよかったのに

 しばらく前、次の記事を読んだ。

不倫をブログで自慢して炎上の女、正体は大学教員?勤務先も判明 | 探偵Watch(探偵ウォッチ)

 私の心に最初に浮かんだ感想は、「すべて黙っていればよかったのに」である。

 自分の浮気――「不倫」であって「浮気」ではないというのが本人の理解のようであるが――をブログで継続的に公表することがどのような反応を「ネット世論」に惹き起こすか予想していなかったとするなら、それは、もはや「かわいい無邪気」の段階を超えた「迷惑きわまる無知」であると言わなければならない。

小学校から高校までの教師は道徳の模範でなければならない

 一般に、小学校、中学校、高等学校の教師が浮気したり、愛人を作ったりすることは、決して好ましいことではない。それは、これらの学校が本質的に「教育機関」であり、社会は、「世間で正しいとされていること」の標準を児童や生徒に示すことをこれらの学校に求めているからである。

 だから、小学校、中学校、高等学校の教師の息子や娘が非行に走ったり、教師本人あるいは配偶者の浮気が原因で家庭が破壊されたりすると、「自分とその家族すらコントロールすることができない人間に、児童や生徒にものを教える資格があるのか」という疑念が関係者の心に生まれるはずである。

大学の教師には、模範的な生活を送ることは要求されてはいないが……

 もちろん、大学の教師の場合も、あまりにも破廉恥なふるまいや違法行為は許されない。(だから、学内における各種のハラスメントは厳しく取り締まられるようになっている。)ただ、大学というのは、本質的に「教育機関」ではなく「研究機関」である。(大学が「大学校」と呼ばれないのは、そのためである。)

 小学校、中学校、高等学校とは異なり、大学には「学問の自由」(または「教授の自由」)が認められている。言い換えるなら、大学は、「世間で正しいとされていること」を教えるところではなく、「現在進行中の学術研究」の現状を学生に開示し――少なくとも理想としては――研究に学生を参入させ、(ある意味において道徳からも自由になって)批判的に研究を進める主体を育成するところである。もちろん、大学は就職予備校などではない。

 当然、大学では、道徳を疑うことすら許されているのであり、このかぎりにおいて、大学の教師が道徳の模範でなければならない積極的な理由は見当たらないのである。むしろ、大学の教師に模範的な生活を送るよう求めることは、「学問の自由」の侵害に当たる可能性がある。(ただ、宗教系の大学、学部と教員養成系の大学、学部については、このかぎりではないかもしれない。)

 実際、大学に入学してから現在までのおよそ30年を振り返ってみると、浮気、不倫、三角関係などのトラブルを抱えた大学関係者の一人か二人は、つねに私の視野の内部に見つけることができた。それでも、学会や学内の業務に支障がないかぎり、このような事実が問題として公式に取り上げられることはなく、すべて本人の善処――できず、大問題になることは少なくないけれども――に任されるのが普通である。(もちろん、上の記事が取り上げている女性の目指すところが、不倫相手と一緒になることではなく、不倫を実況中継することであるなら、これは、別の大問題であるに違いない。)

 だから、上の記事で紹介されている事件についても、本人が黙って「不倫」を実行しているかぎり、そして、授業や会議などの校務を普段どおりにこなしているかぎり、背後で進行していることに皆が何となく気づいていたとしても、誰も何も言わなかったはずである。(誰とも結婚していない女性の教師が妊娠、出産することは、小学校から高等学校までの場合には問題になる可能性があるけれども、大学なら、普通であるとは言わないが、何も問われることはない。)

やはり、ブログで「不倫」や「妊娠」を公開するのは控えるべきだった

 この女性のふるまいは、「不倫」と「妊娠」をネットで実況中継したこと以外は――道徳的に決して好ましいわけではないことは確かであるとしても――大学の世界では、特に珍しいものではない。しかし、世間の人々は、大学とこれを支配する暗黙の掟や雰囲気について、知識にも理解にも乏しいのが普通である。今回のような自由すぎるふるまいについては、大学関係者以外の目に決して触れないよう、細心の注意を払うことが必要であったに違いない。

 もっとも、無精者の私などには、そもそも浮気など面倒くさく、まして、浮気をネット上で実況中継するなど、考えるだけで気が遠くなりそうであるが……。私が道徳的にふるまっているのは、道徳的に微妙なふるまいが面倒だからである。道徳的に微妙なふるまいは、体力を必要とするのである。