Kumamoto Earthquake

 去年(2016年)は――あるいは、「去年も」というべきであろうか――いろいろな災害があった。熊本地震(4月12日)のような単純な自然災害もあれば、博多での道路陥没事故(11月8日)や糸魚川での大火災(12月22日)のように、どちらかと言えば人災に属するものもあった。そして、これらの災害は、現地に居合わせた人々、あるいは、現地にゆかりのある人々の記憶には深く刻まれたことであろう。

 とはいえ、たとえば私のように、上に挙げた3つの災害のいずれの被災者でもなく、また、知人が災害に巻き込まれたわけでもないような者にとっては、大きなニュースになった出来事という以上の印象はなく、実際、この記事を書くにあたり正確な日付をネットで確認しなければならなかった。当事者以外の人間にとり、災害の印象は、それほど薄いのである。

 何人の方が亡くなろうと、何軒の家が破壊されようと、そのような規模には関係なく、災害の記憶は、時間の経過とともに急速に風化することを避けられない。

 実際、1年365日のうち、どの日をとっても、時間を遡ると、過去に何らかの災害が起こっていることがわかる。すべての日は、何らかの災害の記念日、しかも、当事者が存命しているような比較的最近の災害の記念日なのである。(政府が過去5年に激甚災害に指定したものだけでも、30件近くになる。つまり、2ヶ月に1度は激甚災害が発生しているのである。)すべての災害を万人が記憶にとどめるなど、到底不可能なのである。

 たとえば、「2月11日」という日付を目にして、何の災害の日であるかすぐに答えられる人がいたら、それは、この災害の当事者の方か「災害マニア」(?)のいずれかであろう。(答えは下を参照。死者24人を出した大規模な火災であった。)

ホテル大東館火災 - Wikipedia

 私たちは誰でも、自分の身に起った厄災、あるいは、家族や親しい知人が巻き込まれ、自分にも影響が及んだ厄災は、非常によく覚えているが、自分に大きな影響がなかったものは、すぐに忘れてしまう。自分が当事者であるかどうかは、厄災の記憶において決定的に重要な要素となる。どれほど身勝手と受け取られようとも、他人のことはすぐに忘れてしまうものなのである。

 以前、次のような調査結果がニュースになった。

原爆投下日、7割が正確に答えられず NHK世論調査

 広島の原爆投下が8月6日であり、長崎の原爆投下が8月9日であることは、日本人なら誰でも知っているべきであるばかりではない。おそらく、これらは、世界史的な意義を持つ日付であるに違いない。原爆の被害に遭った方々なら、あるいは、広島や長崎出身の方々なら、これを答えられないなど、ありうべからざることであるように思われるはずである。しかし、これほど重要な日付であっても、自分が当事者でなければ、人間は簡単に忘れてしまう。(原爆が投下された日を答えられないとするなら、敗戦記念日を正しく言うこともできないかも知れない。)まして、阪神・淡路大震災や東日本大震災の日付など、あと30年も経てば、9割以上の日本人が答えられなくなっているであろう。

 厄災の大きさに関する客観的な指標などというものはなく、人は誰でも、自分が巻き込まれた厄災をつねに過大評価し、自分とは無縁のところで起こったものは、つねに過小評価する。これは、どれほど努力しても是正することの困難な傾向である。

 厄災の記憶の風化は、非常に残念なことではあるが、それとともに、人間の自然に属することであり、必然である。「忘れるのはけしからん」「薄情者」「決して許さん」などといくら叫んでみても、それは無駄な努力というものであろう。

 被害者、被災者になった人々の試練は、厄災に耐えることだけではない。厄災の記憶の風化、そして、厄災の記憶をただひとりで抱える孤独もまた、このような人々が耐えなければならない試練なのである。(今から30年後、東日本大震災で被災した地域を訪れる観光客の大半は、3月11日が何の日であるか忘れているであろう。また、そのかなりの部分は、かつて東日本大震災なる大地震があったという事実すら知らないかも知れない。しかし、被災者、被害者は、これから、このような「薄情」な人々と付き合って行かなければならないのである。)