Drunken man

 私は、酒が飲めない。アルコールが少しでも体内に入るとすぐに変調をきたすほどではないが、ビール1杯ですでに気持ちが何となく悪くなる程度には弱い。自宅には日本酒とブドウ酒をつねに用意しているが、これは、料理に使うためのものであって、飲むためのものではない。

 これはおそらく日本に固有の事情なのであろうが、アルコールを受けつけない人間には、夜の居場所というものがない。というのも、「夜の席」は、基本的に「酒の席」であり、酒が飲めることは、当然のこととして前提とされているからである。酒が飲めない人間など、最初からお呼びではないのである。

 何人かでテーブルを囲んでいるとき、私ひとりが酒を飲まないと、その場の雰囲気に水を差しているように感じられて肩身が狭い。だから、酒の席に呼ばれても、必要に迫られなければ行かないし、そもそも、呼ばれること自体がほとんどない。日が暮れてから、仕事以外で誰かと会って食事するなど、もう10年くらいないことである。齢のせいか、夜の席で酒を強いられることもなくなった。

 また、私が酒を飲めないと知ると、「あいつと会うのは、夜はやめておこう」という配慮が先方に働くのか、最近は、仕事上の付き合いでも、会食はほぼすべて昼間または夕方になり、私の夜の予定は、さらにスカスカになっている。(たしかに、深夜まで外出していると、翌日の仕事に差し支える危険があり、この意味では、夜の時間が完全に自由になるのはありがたい。)

 しかし、これもまた日本の特殊事情であることを願うが、「アルコールが媒介する人間関係」というものがこの世にはあり、これが無視することのできない役割を社会において担っているらしい。飲める人々は、この点を特に自覚していないのかも知れないが、飲めない人間の目には、これは、どれほど努力しても入り込むことのできない不可視のネットワークと映る。

 機会があるたびに口実を作って酒を飲みたがる人間は非常にさもしいと思うし、酔っ払いも嫌いであるが、このアルコールが媒介する不可視のネットワークだけはうらやましいとひそかに思っている。

 ※こういうことを考えていたら、次のような記事を見つけた。

西荻窪「ワンデルング」。そこは飲めない人と、飲まない夜のためのお店【夜喫茶】 - メシ通

 これは、JR中央線の西荻窪駅からすぐのところにある新しい店である。飲めない人間にとっては、このような空間は貴重である。

WANDERUNG | 喫茶ワンデルング