AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

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 昨日、次のような記事を見つけた。

NEWSポストセブン|百田尚樹氏「中国文化は日本人に合わぬ。漢文の授業廃止を」│

 ここで語られていることがどの程度まで真面目なものであるのか、私には判断ができないけれども、百田氏が冗談を語っているのではないとするなら、それは、文化の受容に関する恐ろしい無知と不見識の反映として受け取られるべきものであり、文化の生産に従事する著述家が口にしたことが事実とは信じられないような発言であると私は考えている。

 私は、百田氏のこの発言に同意する日本人がゼロにかぎりなく近いと信じている。そもそも、この論法は、百田氏の嫌いな中国で「抗日」や「反日」を声高に叫んでいる活動家の論法と何ら違いはないように思われるのである。

「外国」に由来する文化を受容することは、これに盲従することを意味しない

 そもそも、外国において産み出された文化的な成果を自国に取り入れることは、当の外国の文化的植民地になることを意味するものではない。古代のいくつかの地域を例外として、歴史に姿を現したすべての文化は、同時代または近い過去の「外来」の文化を摂取し、これを自分なりに消化することにより、みずからの姿を作り上げたのである。このかぎりにおいて、文化の個性は、その消化の仕方に現れると言うことができる。

 ハチミツは、ミツバチが集めた花粉のかたまりではない。それは、ミツバチがみずからの体内の酵素を用いて花粉を濃縮、熟成させることにより産み出されるものであり、花粉をいくら寄せ集めてもハチミツにはならない。文化もまた、これと同じである。すなわち、文化の価値は、「何とも似ていないまったく新しいもの」の生産量で測られるのではなく、むしろ、目の前にあるものを変形し昇華させることによって作り上げられるものの普遍的な意義によって測られるものなのである。

 日本人は、1500年近くにわたり、漢文を学んできた。そして、この事実は、それ自体として、中国文化に対する高度に日本的な態度の証である。なぜなら、「漢文を学んできた」ということは、古代中国語が、わが国において――荻生徂徠に代表される少数の知識人を例外として――古代中国語として、つまり、外国語として学習されてきたのではなく、「漢文」として、つまり、日本語の表現形式の一種として受容されてきたことを意味するからである。

 これは、中国語と中国文化の受容に関する日本に固有の形態として高く評価されるべきである。漢文というのは、中国の文化ではなく、中国の文化の日本的な消化の成果であり、純粋に日本的なものなのである。(中国に隣接する他の国にも、漢文と似たような形で中国語を受容する試みがまったくなかったわけではないけれども、日本ほど継続的、系統的なものではなかった。)

漢文学習の伝統がなかったら、「教育勅語」も『学問のすゝめ』も生まれなかった

 したがって、漢文を学ぶことは、日本文化の伝統を学ぶことであり、漢文は、日本の文化の不可欠の一部である。もはや現代では、10代から20代の平均的な中国人には漢文に相当する古代中国語を正しく理解することができないと言われている。だから、百田氏の要求が実現して漢文の授業が廃止されることになれば、その措置は、日本人の知的水準を中国人と同じ程度にまで引き下げることに役立つはずである。

 表面的に見るなら、日本人が漢文をまったく勉強せず、ただ外国語としての古代中国語を一部の知識人が学習するだけであったなら、古代から現代まで、わが国の文学史を形作る作品は大半が生まれていなかったであろう。万葉集、古事記、日本書紀に始まり、源氏物語、今昔物語集、枕草子、平家物語、太平記などを経て、夏目漱石(漢詩人でもあった)や森鴎外を始めとする明治の文豪まで、すべてが文学史から姿を消す。当然、「漢文訓読体」なるものも存在せず、いわゆる「教育勅語」も福沢諭吉の『学問のすゝめ』も書かれることはなかったであろう。

 古代中国語を漢文として受容し、これが遅くとも江戸時代中期までに国民の広い範囲に普及していたからこそ、明治以降、「漢語」を媒介とする欧米文化の導入が速やかに進められ、韓国を始めとする他のアジア諸国とは異なり、自国語のみによる高等教育が可能になったのである。そもそも、現代の知的世界においてテクニカルタームとして用いられている漢語の大半は、西周を始めとする明治の知識人たちが漢文の伝統の中から生み出したものであり、中国語に由来するものではないのである。

漢文学習と中国への親近感が無関係であることは、歴史が証明している

 日本には、どの時代にも、「中国かぶれ」と呼ぶことのできる人々が必ずいた。しかし、このような人々が少数派の「中国かぶれ」と受け止められていたという事実は、大半の日本人が「中国かぶれ」ではなかったことを物語る。

 漢文を勉強し、漢文を巧みに操る能力を身につけることと、中国が好きになることとのあいだには、おのずから距離が認められる。実際、日清戦争において重要な役割を担った陸奥宗光や伊藤博文が漢文の学習のために費やした時間は、現代の平均的な日本人の漢文学習時間の何百倍にもなるはずであるけれども、彼らが決して「親中派」でも「媚中派」でもなく、百田氏が言うところの「中国への憧れ」などはなく、当然、「中国は『歴史ある偉大な国』『文明的ないい国』だという誤解」などに囚われてもいなかった。

 それどころか、同時代の中国に対し親近感や敬意を彼らが抱いていたかどうかすら怪しいことは、歴史的な事実から明らかである。漢文を勉強することと中国に対する警戒感が無関係であることは、歴史によって証明されているのである。

 むしろ、現代の教育において問題なのは、漢文学習の比重が相対的に低下していることである。多くの大学は、入試の国語の問題作成に当たり、漢文を出題範囲から除外している。これが原因の1つであるのかどうかわからないけれども、現在の平均的な高校生の学習において漢文が占める位置はきわめて低く、むしろ、私自身は、現代の社会生活をわが国の伝統に接続させるためには、国語教育における古文と漢文の比重を大きくすることが必要であると考えている。

 ことによると、百田氏は、「日本人の『中国への漠然とした憧れ』」という言葉を使うに当たり、『史記』マニアや『三国志』マニアや『水滸伝』マニアを想定しているのかも知れないが、そうであるなら、まず百田氏が主張すべきなのは、漢文の授業を廃止することではなく、これらの歴史書を題材とするゲームの製作と販売を制限することであろう。


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good luck ladies

自分の長所を答えるのは難しいが、紋切型で逃げてはいけない

 最新の事情はよくわからないけれども、就職活動中の大学生は、面接において、「自分をアピールしてください」「自己PRをしてください」などと求められたり、「あなたの強みは何だと思いますか」という問いに答えるよう求められたりする場合が少なくないはずである。しかし、普通の大学生に自分の長所や強みを正確に把握することなどできるはずはなく、大抵の場合、彼ら/彼女らは、「粘り強い」「コミュニケーション能力がある」「几帳面」などという紋切型――つまり嘘――を面接者に投げつけることにより、この問題と向き合うことを避けようとするはずである。

 私は「就活マニュアル」に分類されるような本を読んだことは一度もないけれども、聞くところによると、このような本の著者には、面接での質問に対しできるかぎり紋切型で答えることを推奨する者が少なくないらしい。自分なりに考えて答えを用意し、この答えを適切な言葉で表現しようとすると「目立つ」ことになるが、面接では、何であれ「目立つ」ことは避けるべきであると「就活マニュアル」の著者たちは考えているようである。

 たしかに、口からなめらかに流れ出す紋切型とは異なり、自分なりに考えて得られた答えの場合、抵抗も違和感もなく他人に伝わるとはかぎらない。言いよどんだり、つっかえたり、言葉遣いが不正確だったりするせいで、面接のときに目立つ可能性があることは事実である。しかし、質問に対し自分で考えて答えを出しているのか、あるいは、あらかじめ用意された紋切型を投げつけているだけであるのか、面接者にはすぐにわかる。そして、紋切型――つまり嘘――を面接者に投げつけるたびに、受験者は、面接者に不快感を与え、悪い意味において「目立つ」。そして、面接者の信用を失って行く。紋切型の回答は、面接者が「問い」を用いて受検者とのあいだに設定しようとするコミュニケーションの場を破壊するものなのである。

 常識的に考えるなら、面接において要求されているのは、「平均的で目立たない嘘」でその場を切り抜けることではなく、「目の前にいる相手に合わせて考えた結果」を自分なりに表現する能力であろう。(誰が目の前にいるかには関係なく、同じ質問に同じ答えを返す能力の有無を確認するなら、面接よりもペーパーテストの方がはるかに効率的であり正確である。だから、企業がこのような能力――紋切型をなめらかに語る能力――を受験者に求めているのなら、面接など最初から行われず、採用は、とうの昔にペーパーテストのみになっているはずである。企業が面接を採用の手段としているということは、紋切型を使って質問に当たり障りなく答える能力など、受験者には求められていないということなのである。)

自分の長所は、みずから努力して成し遂げてきたもののうちにある

 ただ、自分の長所を問われても、平均的な若者には、これに答えることは事実上不可能である。というのも、長所を問われるとき、その答えは、自分の経験から抽出される他はないものであるが、若者には、経験の「量」が決定的に不足しているからである。だから、自分の長所を問われた大学生は、大抵の場合、(偶然に由来するかも知れない)自分の1回か2回の「成功『体験』」を強引かつ大胆に一般化し、自分の好ましい性格を描き出すことにならざるをえない。このかぎりにおいて、自分の長所に関し、若者が紋切型に逃れるのは、ある意味においてやむをえないことであり、「自分をアピールしてください」などという質問に答えるよう求める方が悪いと言うこともできる。

 経験にもとづいて自己了解を獲得し、自分の長所を語ることができるようになるためには、ある程度ながく生きていることがどうしても必要となるに違いない。

 とはいえ、物理的な生存期間がながく、多量の「データ」が記憶として蓄積されているとしても、このデータの量は、それ自体としては、自分の長所を語ることを容易にするわけではない。というのも、ここには1つの循環が認められるからである。

 すなわち、一方において、自分の「長所」や「強み」とは、完成へと近づける努力に値する何らかの性質である。しかし、他方において、完成への努力の目標としての長所や強みというのは、何かを完成へと近づける努力の中でおのずから輪廓を獲得して行くものである。言い換えるなら、何かを継続して――あるいは、繰り返し――成し遂げてきたという事実にもとづいてのみ、経験にもとづいて、本当の意味における長所や強みを語ることができるが、それとともに、長所や強みを語ることが可能となるためには、ともかくも努力し、あらかじめ何かを繰り返し成し遂げていなければならない。何かに向かって努力しないと、長所や強みは得られないが、それとともに、長所や強みが漠然とした仕方でわかっていなと、努力のしようがないことになる。

 したがって、長所や強みを語ることが可能となり、「自分をアピールしてください」と求められても途方に暮れないためには、何らかの意味における完成を目指してつねに努力していることが必要となる。もちろん、努力の目標は不変のものではなく、努力を続けるうちに新たな展望が開かれ、「本当の目標」が遠望されるようになることは珍しくない。

 これらの努力はすべて、「人間としての完成」を終極の目標とする努力の一部をなすものであるに違いない。そして、この「人間としての完成」へと向かうはずのこのような努力に身を委ねることがなければ、何十年間、いや、何百年間生きようとも、自分の長所や強みを語ることはできず、「自分をアピールしてください」という要求の前でうろたえ続けることになるであろう。(動物には、自分の長所や強みを説明することができない。動物が言葉を操らないからであるというよりも、むしろ、動物は、この意味における努力に与る可能性がないからである。)

Sunday

研究者には、カネと時間が慢性的に不足している

 自分で調査したことがあるわけではないけれども、大学の教員が口にする苦情の上位2つは、間違いなく「研究資金がない」と「研究時間がない」である。

 これら2つで、大学の教員が口にする可能性のある苦情全体の90%を占めているに違いない。もちろん、「体調がすぐれない」「隣の研究室がうるさい」「学生がバカだ」など、研究生活において出会われる問題は少なくないとしても、カネと時間さえあれば、問題の大半は解消されるということなのであろう。

 実際、授業、会議、書類作り、試験監督などに時間を奪われ、研究テーマに集中することが難しい研究者、あるいは、(特に国立大学の理系の場合、)競争的研究資金が思うように獲得できず、そのせいで研究を進めることができない研究者はいたるところに見出される。このかぎりにおいて、現在の日本の大学の教員は、「労働者」にかぎりなく近づいていると言うことができる。

理系と文系では、必要とするカネの規模が違う

 ただ、時間とカネのあいだには、若干の違いがある。すなわち、時間の不足が専門に関係なく多くの研究者に共通の悩みであるのに反し、カネの方の悩みは、2つの点において研究分野によりその内容を異にしているのである。

 まず、誰でも知っているように、理系と文系では、必要となる研究資金の規模がまったく異なる。もちろん、「理系」「文系」と総称されるそれぞれのグループは、決して一様ではない。「理系」にも、実験の比重が必ずしも大きくない数学のような分野があり、同じように、「文系」と言っても、社会心理学や人類学のようにフィールドワークが必須の分野がある。それでも、全体としては、理系の方が文系よりも多くのカネを必要とすることは確かであり、また、文部科学省と日本学術振興会が配分する科学研究費補助金に代表される競争的研究資金も、大半が理系の研究に配分される。理系の方は、配分先の研究分野が細かく区別されているのに対し、文系の方は、「人文社会科学」という雑な分類にすべてが押し込められているのである。

理系の研究はつねに資金を必要とするが、文系、特に人文科学はそうではない

 しかし、研究分野によるカネをめぐる事情の差異に関し、さらに目立つのは、カネをもっとも必要とする時期である。

 理系の場合、研究資金というのは燃料のようなものであり、研究が進行しているかぎり不足することを許されないものである。理系、つまり自然科学では、「最新」と「最良」が同一であり、「最新」をつねに追求していなければならない以上、これは仕方がないことであるに違いない。研究資金との関係で言うなら、自然科学の研究成果というのは「砂上の楼閣」のようなものなのである。

 これに対し、文系、特に人文科学(伝統的には「哲史文」、つまり哲学、歴史、文学の三分野を指す)では、事情が異なる。必要となるカネが少額で済むばかりではなく、カネがないと研究が完全に停滞してしまうこともないのである。なぜなら、自然科学において研究資金が燃料として消尽されてしまうのとは異なり、人文科学の場合、研究のためにそれまでに投資された資金の多くは、再利用可能な研究成果や資料として蓄積されて行くからである。人文科学に投入された研究資金は、すでに手もとにある資産に新しいものを付加するために使われるのである。一度に投入する金額が少なくても、研究がすぐに滞ることがないのはそのためである。

人文科学では、研究者のキャリアの初期段階でカネがかかることが多い

 私の個人的な経験の範囲では、学部生の時代を文学部で過ごし、そのまま人文系の大学院に進学し、さらにそのままアカデミックな仕事に就くというキャリアパスにおいて、研究資金が一番必要になるのは大学院の博士課程のころである。基本的な研究資料を手もとに揃えることが必要になるからである。

 業績を作るには絶対に必要だが大学の研究室にはない、それどころか、国内の大学のどこにもない資料がある場合、たとえチラッと見れば済むものであるとしても、これを手に入れるには、相当なカネが必要になる。私自身、大学院生の博士課程に在籍していたころには、人生で最初の――そして、今のところ最後の――借金を背負った。各種のレファレンス、全集、叢書、研究文献などを必要な範囲で手に入れるためである。(特に、私の研究対象に関する文献は、大学の研究室にはほとんど何もなく、ゼロからすべて集めなければならなかった。)

 実際、大学院生のころ、ある文献を読んでいたら、有名な研究者が「○○が書いた△△という本があり、××という文献に言及があるが、自分は肝心の△△を見ていないから影響関係について断定的なことは言えない」という意味のことを書いているのを見つけた。

 私は、これを見て、「それなら、△△を絶対に手に入れてやる」と考えた。ところが、図書館で調べたところ、この△△という本は、国内の大学図書館のどこにも所蔵されていないことがわかった。そこで、仕方なく、大学の図書館を経由して、ドイツのある大学図書館からこれを航空便で取り寄せた。もちろん、自費である。そして、業者に頼んで、この本――18世紀の本だった――の全部のページをコピーし製本してもらった。これも自費である。本を取り寄せてコピー、製本するのに、合わせて約10万円の費用がかかった。また、このころは、神田の崇文荘書店や北沢書店に毎月のように通い、たくさんの本を注文していた。カネはいくらでも必要であった。

 ただ、このようにして手に入れた本は、20年以上経った今でも私の書架に収まっており、資料として半永久的に使用することができる。人文科学の場合、どれほど高額なものでも、一度買ってしまえば、多くは、たえず更新しなければ使い物にならなくなる、などということはない。また、更新が必要となる場合でも、古いものに新しいものが付加されて行くのが普通である。したがって、「初期費用」は相当な規模になるけれども、その後は、時間の経過とともに研究資金の「必要最低限度額」は、急速に減少して行く。

 何千万円ものまとまった研究資金が必要になることは、カネを使うことをそれ自体として目的とするような意味不明の共同研究でも企てないかぎり、ほとんどないに違いない。また、何千万円もする高額な資料を必要とする研究がないわけではないけれども、このような資料は、大抵の場合、国内の研究者の誰かがすでに買ってどこかの大学図書館に入れている。所蔵している大学図書館から取り寄せれば、カネは一銭もかからない。

 だから、人文科学については、大学の専任教員になってしまった者よりも、むしろ、どちらかと言うとキャリアの初期の段階にある研究者を手厚く支援することにより、大きな成果を期待することができるはずである。カネをもっとも必要とするのが初期の段階だからである。

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「おすすめの本を教えて」という漠然とした求めには応じない

 職業柄、「どのような本を読めばよいのか」「おすすめの本を教えてください」などという質問や要求に出会うことが少なくない。

 「○○の分野に興味があるから、適当な文献を紹介してほしい」とか「△△関係で××を読んでみたがよくわからなかったから、もっとわかりやすい入門書を」とか、このような具体的な話には応えることにしているけれども、ただ漫然と「面白そうな本」や「おすすめの本」を挙げるよう求められても、これには基本的に応じないことにしている。

 そもそも、以前に投稿した次の記事で述べたように、私は、読書というのが基本的に私的なもの、密室でひそかに営まれるべきものであると考えている。自分が好きな本をむやみに公開するのは、自分が身につけている下着を繁華街の路上で披露するのとあまり変わらないことであるように思われるのである。(私は、露出狂ではない(つもりだ)から、当然、そのようなことはしない。)


私だけの書物、私だけの読書 〈体験的雑談〉 : AD HOC MORALIST

カスタマーレビューの罪 本をどこでどのように買うかは、人によってまちまちであろうが、現在の日本では、アマゾンをまったく使わない人は少数であろう。私自身は、この何年か、購入する本の半分弱をアマゾンで手に入れている。 もっとも、アマゾンで本を手に入れる場合、

面白い本は試行錯誤しながら自分で見つけるものであって、誰かに教えてもらうものではない

 しかし、それ以上に重要なのは、次のような理由である。

 そもそも、面白い本というのは、試行錯誤によってみずから見つけ出すべきものである。これは、ある程度以上の読書経験がある者にとっては自明の真理であるに違いない。あるいは、この自明の真理を感得することが、「読書経験」の証であると言うことも可能である。

 さらに、それなりにたくさんの本を読んできた人なら誰でもわかるように、万人にとって面白い本などというものはない。本を手に取るときに読み手が背負っている人生経験に応じて、一冊の本は、異なる面白さ(あるいは、つまらなさ)を読み手に示す。当然、同じ一冊の本から得られる面白さは、読み手が位置を占める人生行路の地点が異なれば、これに応じて変化することになる。

 たとえば、私が太宰治の『人間失格』を初めて読んだのは、小学校6年生のときであった。私は、これを、ある意味において「面白い」作品として受け止めた。私が次に『人間失格』を手に取ったのは、大学院生のころである。このときにも、私は、この作品に面白さを認めた。しかし、当然、その面白さは、小学生の私にとっての面白さとは性質を異にするものであった。さらに、一昨年、私は、『人間失格』をもう一度読んだ。もちろん、私は、これを面白いと感じたけれども、それは、さらに新しいレベルの面白さであった。読書とは、このようなものであると私は考えている。

 したがって、ただ漫然と「面白い本を挙げろ」と言われても、それは、そもそも無理な相談なのである。

本をすすめることが相手にとって害になることもある

 もちろん、「おすすめの本を教えてください」という要求に出会うとき、私が挙げることを求められているのは、万人にとって面白い本ではなく、「おすすめの本を教えてください」と私に語りかけている当の誰かが「今、ここ」で読んで面白いと思えるような本であるのかも知れないが、相手の経験をそのまま引き受けることができない以上、この求めに応じるのが不可能であることもまた明らかであろう。

 それどころか、私は、このような要求に応えることが決して相手のためにならない場合が少なくないと考えている。そもそも、「おすすめの本を教えてください」などと私に無邪気に求めるような人間は、読書経験がまったくないか、あるいは、ゼロに限りなく近く、そのため、「つまらない本」に対する「耐性」がないからである。

 本を読むことにある程度以上の経験があるなら、つまらない本に出会っても、これに懲りることなく、気持ちを切り替え、次の1冊に手をのばすことが可能である。本の面白さについて自分なりの基準があり、また、この基準を満たす本に過去に実際に出会った経験があるからである。

 これに対し、本を読むことに慣れていない者の場合、つまらない本に遭遇すると、本を読むこと自体への意欲が失われてしまう可能性がある。つまり、次の1冊を試そうとはせず、そのまま読書に背を向けてしまう危険があるのである。私がすすめる本が相手にとって面白いという確信があるなら、話は別であろうが、このような確信がないかぎり――実際、あるはずはない――本をすすめることは、相手を不幸にするおそれがある。人間に許された物理的な経験の量は、時間的、空間的に非常に狭い範囲にとどまる。読書は、経験を他人から買い、みずからの経験を拡張する作業であり、したがって、人間に固有の、人間にふさわしい経験を形作る作業であると言うことができる。しかし、それだけに、私がすすめた本が原因で読書に背を向ける者が現われるようなことは、当人のためにならないばかりではなく、人類にとってもまた損失であるように思われるのである。

My Grandfather's Basement - Day 300

寄贈のすべてがありがたいわけではない

 昨日、次の記事を読んだ。

高梁市教委への寄贈本10年放置 1.6万冊、遺族要請を受け返還

 記事によれば、藤森賢一氏の没後、遺族が藤森氏の蔵書を郷里の高梁市に寄贈した。しかし、蔵書は、市の体育館に10年間放置されたままであり、最終的に、一部を除いて廃棄されることになった。そのため、遺族が市に返還を求め、そして、蔵書は実際に返還されたようである。

 この記事は、高梁市の対応に批判的であるように見える。たしかに、寄贈された書籍や資料を10年間も放置したことは、それ自体としては決して好ましいことではない。すべての本は、誰かに利用されて初めて存在意義を獲得するものだからである。

 とはいえ、本をめぐる現実を冷静に考えるなら、高梁市の措置にはやむをえない点があることもまた事実である。

 そもぞも、本や資料に限らず、何かを寄贈される側にとって、寄贈は、ありがたいことであるとはかぎらない。というのも、寄贈されたものは、これを維持し管理するコストを必要とするからである。今回のように本が問題であるなら、保管するスペースを用意し、分類、整理しなければならない。補修したり修復したりしなければならないものが含まれている可能性もある。寄贈されたものを市の財産として活用するには、手間と時間とカネがかかるのである。

本の資産価値はほぼゼロ

 とはいえ、寄贈されたものが、たとえば金塊や歴史的な価値のある絵画などであるなら、放置されることはなかったであろう。というのも、換金性が高いものなら、これを売却し現金化して利益を得ることが可能だからである。高梁市の場合にはよくわからないけれども、東京や大阪のように地価の高いところであるなら、土地は希少であるから、自治体が寄贈を受けた土地は、売却されるか、公共施設の建設用地として活用される。

 ところが、厄介なことに、本の場合、よほど珍しいものを除き、売却して現金化することは不可能である。というのも、本には資産価値が認められていないからである。10年前に高梁市に寄贈された本は、相続にあたり、大して高くは評価されていなかったはずである。一般に、相続される財産に本が含まれるときには、購入したときの価格に関係なく、1冊あたり100円を超える価値が認められることはない。1億円以上をかけて集められた1万冊の蔵書でも、相続財産としての価値は100万円以下である。本というのは、所有者や家族にとってどれほど大切なものであるとしても、客観的にはタダ同然なのである。

 本に財産としての価値がほとんど認められないのは、古本市場での本の実勢価格が悲しいほど安いからである。いや、ただ安いばかりではなく、そもそも、よほど珍しいものでないかぎり、古本屋に引き取ってもらうことすら容易ではない。珍しい本や資料が含まれている場合、古くから付き合いのある古本屋に頼めば、蔵書の全体を――値段がつかず、したがって、廃棄せざるをえない本を含め――何百万円かで買い取ってもらうことは可能であろう。(もちろん、この数百万円というのは、蔵書をすべて引き取ったあと、売れない本を廃棄する費用を控除した金額である。)普通の古本屋なら、高値で売れる本だけを選別して買い取り、残されたものは、遺族が自分の費用で廃棄しなければならないことになるに違いない。

 今日、ネットで次のような記事を見つけた。

藤森賢一先生の蔵書のことなど

 この記事は、寄贈した蔵書の返却を求めた遺族について、「僭越」という言葉を使って批判しているけれども、私自身は、蔵書がしかるべき仕方で扱われていないことに対する不満はそれ自体としては不当ではないと考えている。ただ、それとともに、私がこれまで書いてきたような事情、あるいは、この記事で述べられているような本に関する現実を冷静に受け止め、その上で本をどのように処分するか決めることもまた、必要であるように思われるのである。

本は資産ではなく負債と考えるべき

 本を現金化することの困難を考慮するなら、高梁市には、寄贈された本を売却する可能性は最初からなかった。市にとり、これは、税金を財源とするメインテナンスを必要とするものであり、この意味において、蔵書の寄贈を受け、これを「有効に活用する」ことは、負債を肩代わりするのと同じだったわけである。この負債から逃れるためには、寄贈されたものを放置するか、特に珍しいものを除き、すべてを――売却することができない以上――ゴミとして廃棄するかのいずれかしか道はなかった。(書架と人員に余裕がないかぎり、大学図書館でも、事情は同じである。)

 もちろん、放置したり廃棄したりするくらいなら、最初から寄贈を受けなければよかったと考えることは不可能ではないし、おそらく、そのとおりなのであろう。ただ、市が引き受けなければ、遺族がみずからの手間と時間とカネを使って本の行き先を決めなければならないことになる。若干のものは高値で買い取られるであろうが、大半のものについては、行き先が決まらぬま空間を占領し続け、そして、時間だけがむなしく過ぎて行くことになるはずである。

 本が資産であるのは、これが使われるかぎりにおいてのみである。物体としての本は、資産であるというよりも、むしろ、本質的に負債と見なされねばならない。借金を残したまま世を去ることが遺族にとって迷惑になるのと同じように、今後は、世を去るまでに、自分の蔵書をすべて始末し、遺族に本を残さないことにより、私たち一人ひとりが死後に受けるかも知れぬ評価を肯定的なものにしてくれるかも知れない。

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