AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

タグ:女性

Metropolis (making off).

 ※注意:以下の文章は、道具一般の本質と性別の関係をテーマとするものであり、女性に対する差別を肯定、助長することを意図して書かれたものではない。

人工知能には、人間一般の模倣ではなく女性の模倣が期待されている

 人工知能というのは、それ自体としては生命を持たない機械を動かす技術またはその仕組みである。当然、人工知能の機構自体に性別はない。

 しかし、人工知能の開発や改良の方向、あるいは、人工知能に人間が期待する役割を考慮するなら、つまり、人間との関係という観点から眺めるなら、人工知能には明らかに性別があり、それは、女性であると考えることができる。

 人間にとっての何らかの利益が想定されているのでなければ、人工知能が開発されることはなく、これが使われることもないはずである。そして、人工知能に関しあらかじめ想定されていた利益とは、忠実な道具が人間に与えるはずの利益、つまり、手間を省き、労働を代行することにより、人間の生活を便利なものに変えることである。レンブラントの贋作を描かせたり、囲碁やチェスで名人と対戦させたりするというのは、人工知能の性能を確かめるための実験であり、また、面白い遊びであるかも知れないとしても、社会が人工知能に対し本当に期待していることではない。

 そして、人工知能のこの道具としての性格は、本質的に「女性的」である。というのも、現在では――幸いにも事情は変化しつつあるけれども――この何十年かの社会が女性に期待してきたことは、便利な道具であることだったからである。

女性的なものは、現実への密着を特徴とする

 実際、男性中心の伝統的な社会の性的役割分業において、特に生産の場面において、「女性的」なるものの本質は「器用」にあると考えられてきた。つまり、女性に求められてきたのは、現実に密着することにより、男性から受け取った大雑把な略画の細部を埋め、これを密画へと変換する作業だったのである。このような作業では、知識や意欲に「ムラ」がなく、すべてを満遍なく処理する能力が絶対に必要である。実際、女性は、製品の仕上げと点検、給仕、運転、経理、校正など、好き嫌いに関係なく、中程度の技術と知識を浅く広く持つことが要求されるような作業に従事することが多かったように思われる。そして、まさにこのような作業、中程度の技術と知識を浅く広く満遍なく持ち、社会の生産活動に関してあらかじめ描かれた略画を密画へと仕上げて行くような役割を、現代の社会は機械、コンピューター、そして、人工知能に期待するようになっているのである。

 これは私の単なる偏見かも知れないが、人工知能、あるいは、人工知能を具えたアンドロイド(人造人間)を具体的に心に描くとき、女性が想起される場合が多いのではないかと思う。「アンドロイド」(android) は、古代ギリシア語で成人男性を意味する名詞aner(アネール)をもとに作られた言葉であり、語源に忠実に日本語に訳せば「大人の男っぽい生き物」となるから、アンドロイドの性別は、本来は男性でなければならないのであるが、実際には、女性のアンドロイドが想起されることが少なくない。現代の社会では、女性の仕事の多くが人工知能によって置き換え可能であると誰もが漠然と感じているからであるに違いない。

 今から2年ほど前、人工知能学会の機関誌の表紙に女性のアンドロイドが描かれ、これがネット上に否定的な反応を惹き起こしたことがある。この表紙と女性蔑視との関係については、私は判断を差し控えるが、人工知能の活用により、性的役割分業において女性に割り当てられてきた仕事、特に、多くの女性にとっては不本意な仕方で割り当てられてきた仕事の多くが人工知能によって置き換えられるようになる可能性が高いことは確かである。

「ロボットは奴隷ではない」擁護する意見も

 ところで、女性の場合と同じように、伝統的社会の性的役割分業では、男性に期待されている役割がある。ただ、この役割の多くは、産業革命以降、20世紀ある時期まで、機械によって積極的に置き換えられてきた。というのも、男性に固有とされてきた仕事の大半は、いわゆる「力仕事」だったからである。実際、21世紀前半の現在、機械によって置き換え可能であったものの大半は、すでに機械によって置き換えられている。しかし、それだけに、男性に固有の役割のうち、機械によって置き換えられなかった部分に人工知能が進出することは困難であるように思われる。というのも、機械化を免れた男性の男性らしさとは、「好い加減」である点だからである。

 好い加減であること、あるいは、ほどほどに手抜きすることが可能となるためには、現実世界を「雑」に眺めることができなければならないが、これは人工知能にはできない。「雑」には尺度がないからである。人工知能にできることは、現実に密着し、これを一切の手抜きなしにトレースし、これを丁寧に制御することだけである。(だから、「雑」の基準を定めれば、人工知能にも世界を「雑」に眺めることができるようになる。ただ、この場合の「雑」は、「密画をある観点から省略することにより作られた略画の雑」、つまり「精密な雑」(?)であり、本当の意味での「雑」ではない。)人類の未来を担うのが人工知能の丁寧な仕事であるのか、それとも、機械によって削り取られた男性らしさの残滓としての「好い加減」であるのか、これはよくわからない。しかし、人工知能によって制御される社会が、好い加減を許さない鬱陶しい社会となることは間違いないように思われるのである。


Britain Prime Minister Theresa May Puts Fashion High on the Agenda
 しばらく前のことになるが、今年の7月にイギリスで女性が首相になったとき、マスコミの多くは、政治的な実績や手腕とともに、そのファッションについて詳しく報道した。男性が首相になっても、よほどのことがないかぎり身につけているものがマスメディアの話題になることはないが、女性の政治家の場合、ファッションが話題になることが少なくない。これは、日本に限ったことではなく、イギリス本国やアメリカでも、ファッションへの言及は少なくなかったように思う。

 女性の政治家が登場すると決まってファッションが話題になることについて、性差別主義的であり好ましくないと考える人は少なくないようであるが、私は、必ずしもこれには同意しない。報道機関自身がどのくらい自覚しているかはよくわからないが、女性の政治家のファッションを伝えることには、やはり、それなりの意義があるからである。

 性別に関係なく、政治家としての能力とファッションのセンスのあいだには、何らかの相関関係が認められる。もちろん、ファッションのセンスがすぐれていても、政治家としては無能という可能性がないわけではないが、少なくとも、身なりに気を遣わない政治家、服装に無頓着な政治家にロクな人物がいないことは間違いないように思われる。

 さらに、男性の場合、スーツを身につけているかぎり、あまりひどいことにはならないのが普通であるのに対し、女性については、ファッションセンスのよしあしは、ほぼ一目でわかる。女性の政治家のファッションが繰り返し話題になるのは、ファッションセンスが政治的能力を反映することを誰もが何となく知っているからであろう。

 ファッションのセンスが平均以下の女性の政治家は、有権者によい印象を与えないことが少なくない。この印象がセンスの悪さや服装への無頓着によるものであるのかどうかはわからないが、有権者がこれを政治的無能のサインとして不知不識に受け止めているというのは、十分にありうることである。

 たとえば、民主党政権時代に最後の文部科学大臣となったあの人物の場合、少なくとも政治家としての能力に深刻な問題があった。これは、周知の事実である。また、彼女がファッションに関し平均以上のセンスを持っているという意見には、誰も与しないに違いない。

 ファッションセンスによって直接の損害を被っている政治家の代表は、ヒラリー・クリントンである。クリントンは、ファッションセンスに乏しいことで以前から有名であり、そのちぐはぐな感じの衣装は、これまでマスメディアで繰り返し面白おかしくからかわれてきた。(下のリンク先でも、「何をどう着ても似合わない」というような書き方をされている。たしかに、リンク先には、クリントンのファッションセンスのなさを証明するような写真がたくさん載っていて、ことによると、本当にセンスがないのかも知れないと思えてくる。)

 写真で見るかぎり、大統領選挙に立候補してからは、スタイリストが決めたセンスのよいものを無難に身につけ、何とかサマになっているようであるが、それは、おそらく、着るものを自分で選ぶと、目も当てられない状態になることがわかっているからであろう。そして、このような事情は、アメリカ国内で、クリントンに対する好感度が低いことの原因の少なくとも1つではあるように思われるのである。
Hillary Clinton's 20 WORST fashion faux pas from the past 50 years


(翻訳:「68歳の彼女は、日曜日にニューヨークで注目を集めたが、そのとき家族と一緒に外出中の彼女が着ていたのは、刺しゅうされた花柄のジャケットである。ただ、彼女には、ファッションにまつわる不幸がたくさんあって、このド派手なコートはそうした不幸の1つにすぎない。」)

 上の写真のコートは、2003年にアフガニスタンのカブールで購入したとされるもので、クリントンは、この12年間、これを着用して人前にたびたび姿を現している。もちろん、これは、大変に評判が悪く、マスメディアでは、ファッションセンスの欠如の証拠として繰り返し酷評されている。


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