AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

タグ:孤独のグルメ

Japanese breakfast

 朝食をとることが必要であるかどうかという問題については、肯定的な意見もあれば、否定的、懐疑的な意見もある。しかも、いずれの意見も、栄養学的には相応の根拠があるらしい。両者を比較し、自分の態度を決めることは、専門家にとっても難しいであろう。まして、素人なら、自分に都合のよい方を信じるほかはないに違いない。

 私自身の場合、朝食を最後に抜いたのは、もう10年以上前で――寝坊したせいで予約していた飛行機に乗り遅れそうだった――これ以降、昼食や夕食を抜くことはあっても、朝食だけは欠かさずとってきた。

 しかし、万人が朝食をとるべきであるかと問われれば、「否」と答える。理由は簡単である。食べたくないのなら、食べなければよいのである。自分の胸に手を当てて食べたいかどうかを尋ね、食べる気になったら食べればよく、食欲がなければ、食べる必要はない。特別な病気を抱えているのでないかぎり、食事とは、本来、そのように付き合うべきであろう。

 それでは、私がなぜ朝食を欠かさないのかと言えば、それは、「起床時に空腹だから」である。私は、夜9時以降はできるかぎりものを食べないようにしている。したがって、朝6時に朝食をとる場合、最後に食事してから最低でも9時間が経過している。夜間だからと言って身体のエネルギー消費がそれほど落ち込むわけでもないから、当然、目覚めたときには、完全な空腹の状態にある。血糖値もそれなりに低くなっているはずである。私が朝食を欠かさないのは、何か食べたいからである。(腹が減って目が覚めることもある。)

 朝食をとるべきかどうか、自分の胸に手を当てて尋ねてみてもわからないのなら、最後に食べものを口にしてから経過した時間を測ってみればよい。大抵の場合、朝食と昼食、昼食と夕食のあいだの間隔は5時間から6時間くらいであろうから、前の晩、最後にものを食べた時刻を思い出し、経過した時間を計算すれば、朝食をとるべきかどうかがわかる。(たとえば、前の晩、午前1時まで何かを食べていたら、翌朝、午前6時に食欲がなくても、何ら不思議ではない。そのときには、朝食を抜くか、時間を遅らせればよいのである。)

 何を、いつ、どのように食べるかという判断は、動物的な本能に委ねられるべきものであると私は思う。実際、野生動物にデブはいないと言われている。食欲に関し本能が十分に機能している証拠である。残念ながら、人間の場合、このような本能がつねに十分に機能するとはかぎらないけれども、(『孤独のグルメ』の「井之頭五郎」ではないが、)食事の時間になったとき、「本当に何かを食べたいと思っているのか」「食べたいとすれば、何をどのくらい食べたいのか」を自分自身に問いかけ、考えてみるべきであり、この作業は、幸福と健康の両方に肯定的な影響を与えるのではないかと私はひそかに信じている。


Family Dinner

 ダイエットの不幸というものがあるとするなら、それは、食べたいものを食べられないことにあるのではない。自分の好物を目にしたとき、これを食べたいと思う素朴な気持ちが失われてしまうことであり、自分の好物を食べるということが、「あとさきを考えない愚かなふるまい」のように思われてくることである。食べたいものを食べたいと思う気持ち自体が損なわれるのがダイエットの不幸なのである。

 そして、この不幸は、たとえ減量に成功するとしても、消えることはない。ダイエットを長く続けているうちに、食べたいと思えるものが少なくなり、何を見ても、「これを食べるとブタになるのではないか」「血糖値が急激に上がるのではないか」というようなことばかりが気になり、美味しそうに見えなくなる。そのうち、食べること自体が苦痛になる。

 食生活に関係する健康情報というのは、基本的にすべて「うしろ向き」である。つまり、いかに健康になり、いかに若々しくなるかを教えるものではなく、いかに病気のリスクを減らし、いかに老化のスピードを抑えるかを教えるにすぎない。だから、健康情報を手がかりに食生活の改善を試みると、病人のような気分を味わわされることになる。

 残念ながら、ダイエットを一度始めたら、この不幸から逃れる術はない。食べることへの気がかりが、自分のあとを影のようにどこまでもついてくるからである。これで苦しい思いをしている人は少なくないであろう。私も、あまり楽しくない思いをしている一人である。

 テレビドラマの「孤独のグルメ」を観ていると、主人公の井之頭五郎が丼からメシをかき込む場面がよく出てくる。製作者は、「うまそう」という声を視聴者に期待しているはずである。しかし、糖質、特に白米による糖質の摂取が血糖値を急激に上げ、それが血管や内臓を傷つける危険があり、これが動脈硬化を惹き起こす可能性があるという知識を持っている視聴者は、井之頭五郎がメシをかき込むシーンを見ても、「うまそう」とは思わず、むしろ、「ああ、命削ってるんだな、大変だな」としか思えなくなる。(私も、そう思って見ている。)そして、同じシーンを見て「うまそう」などと言っている人間を見ると、そういう人間の無知を憐れむ。

 しかし、よく考えてみると、本当に憐れまれるべきなのは、井之頭五郎について「ああ、命削ってるんだな、大変だな」などという感想を持つ私のような人間であるのかも知れない。白いメシを腹いっぱい食べることの素朴な楽しみには、もはや決して与ることができないからである。

 続きは下の記事へ。 

ダイエットの不幸を克服するヒント : アド・ホックな倫理学

前に、ダイエットによって背負うことになる不幸について書いた。ダイエットの本当の不幸は、食べたいものが食べられなくなることではなく、食べたいという素朴な欲求が損なわれることであるというのが、その内容であった。ダイエットの不幸 : S氏のブログダイエットの不幸



 

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