AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

タグ:年末年始

new years resolution wall at the kimmel center

 今日は1月8日である。日本の正月には、「三が日」(3日)「松の内」(7日)「小正月」(15日)という3つの区切りがあるが、一般には、7日、つまり「松の内」までが正月と考えられている。実際、官公庁や民間企業の仕事始めは4日、学校の始業は8日が普通であろう。(「松の内」は7日までではなく6日までであるという意見があるが、6日でも7日でも、実質的には同じことである。両者のあいだに横たわるのは、門松を片づけて七草粥を食べる日、つまり1月7日を正月に含めるかどうかという問題をめぐる立場の違いだけだからである。1月7日を正月に数え入れれば、「松の内は7日まで」となり、この日を正月に含めなければ、「松の内は6日まで」となるにすぎない。)

 もっとも、私自身は、12月末から1月初めは、例年のとおり、普段の休日と同じように時間を過ごし、年中行事らしいものはすべてパスした。何らかの職業に就いている人なら誰でもそうであろうが、普段からあれこれと用事に追われていると、精神的にも物理的にも、「正月を迎えるため」などという理由で新しい雑用を抱え込む余裕はない。私の場合、新しい雑用の流入が少なくなるこの時期、デッドラインを疾うに過ぎた仕事の山を下を向いてコツコツと片づけるのが、年末年始の慣例になっており、正月が終わったからと言って、生活が劇的に変化することはない。

 本来なら、正月には、来し方行く末を慮り、反省とともに抱負を語るべきなのであろうが、実際には、「今年の抱負」(new year’s resolution) などを格好つけて書き出してみたのは、小学生のころが最後で、それ以降は、現在まで、年末年始は、試験の直前や仕事のデッドラインであり、特に忙しい時期と重なる。忙しさが一段落したころには、もう2月下旬になっており、抱負を語るには遅すぎる……、このようなことの繰り返しであったように思う。

 とはいえ、今年は、1つだけ抱負を掲げたいと思う。すなわち、年末までには生活を立て直し、年末年始に「新年の抱負」について考えをめぐらせるだけの気分的な余裕を得られるようにすること、これが私の抱負である。(「抱負」というよりも、単なる「希望」かも知れない。)

 私は、それほどの年齢ではない――今の職場に定年までいると仮定すると、まだ20年くらい勤めることになる――が、単調な生活を何年も続けてきたせいか、最近、さすがに少し疲れてきた。この意味で、今年は、「小さな締めくくり」の年にしなければならないと考えている。


Légion

 2016年は、あと1週間で終わる。世界的にはテロや戦争があった1年ではあったけれども、私自身の生活には、特に大きな波乱はなく、それなりに穏やかに過ごすことができたと思う。

 ところで、私は、数年前から、正月には何も特別なことをしないと決めている。つまり、

    • NHK紅白歌合戦を見ず、
    • 初日の出を見るために遠出せず、
    • 初詣に行かず、
    • 雑煮を食わず、
    • おせち料理を食わず、
    • 門松を飾ることもなく、
    • 年始の挨拶に誰かを訪問することもない

ということである。私は、毎年大晦日に墓参することにしており、これが年末年始のもっとも大きな行事となる。これ以外は、他から何かが飛び込んでこないかぎり、普段の休日と同じように過ごす。何が面白いのか私にはよくわからない年末の準備や正月のルーチンをすべて取りやめることにより、毎年年末に感じていた追いつめられるような息苦しさがいくらか軽減されたように思う。特に、私は、赤、白、金、緑などの組み合わせからなる派手な「正月カラー」が大の苦手で、あれを見ずに済むだけでも、気分はかなり落ち着く。

 ただ、12月29日から1月3日まで繁華街で発生する狂乱状態の人ごみを避けるため、この1週間のあいだの食料は12月28日までにすべて買い込み、年末年始には可能なかぎりどこにも出かけないようにする。これが、普段の休日との最大の違いである。

 年末も年始もなく、暮れも正月もない生活を送っている――と書くと、ずいぶん忙しそうに聞こえるけれども、実際にはそれほどでもない――と、年末年始の恒例の行事というのは、単なる雑用にすぎないものとなる。特に年賀状の作成は、私にとってもっとも煩わしい作業である。何とか理由を見つけてやめたいと思っているし、また、以前に書いたことであるが、ハガキの形式による年賀状は、やがて姿を消すことになるのではないかとも予想している。


年賀状 続けるべきか、やめるべきか : アド・ホックな倫理学

今日、下のような記事を見つけた。1月2日の年賀状配達、17年から中止 日本郵便 1月2日の年賀状の年賀状の配達が来年からなくなるようである。 よく知られているように、年賀状というのは、年始の挨拶の代用品であり、年賀状に非常にながい歴史があるわけではない。ま



 いや、年賀状がなくなるばかりではない。年末年始の行事もまた、少しずつ廃れて行くに違いない。何世代も同居して暮らす家族の場合、年中行事を廃止することは困難であろうが、独り暮らしなら、自分の決意だけで正月に何もしないことを選択し――付き合いで顔を出さなければならない新年会のようなものを除き――年末年始を1週間連続した休みとすることができるからである。

 たしかに、来し方行く末を落ち着いて考える時間は、誰にとっても必要である。しかし、少なくとも現在は、平均的な日本人にとり、正月はただ慌ただしいばかりであり、人生について思いをめぐらせる時期ではなくなりつつあるに違いない。

 むしろ、1年の区切りが必要であるなら、それは、自分で好きなように決めればよい。そして、自分で決めた区切りを迎えるとき、ひとりで静かに反省すればよい。私たちには、好きなように年末年始を過ごす権利があり、それぞれの生活の中で、好きなように1年を区切る権利がある。12月には、28日の仕事納めに向かって慌ただしく仕事を片づけ、年末年始には家族サービスに忙殺され、そして、疲労困憊した状態で1月4日の仕事始めを迎える……、このような正月の過ごし方が正常であるはずはないように思われるのである。


↑このページのトップヘ