『折り鶴』


「千羽鶴、何とか生かせないか」名刺や封筒にリサイクル、コスト大が課題に 長崎原爆資料館(西日本新聞) - Yahoo!ニュース


 上のような記事を見つけて少し驚いた。というのも、長崎と同じように折り鶴が大量に集まる広島市では、はるか以前から焼却したり、無償で配布したり、リサイクルしたりする形で折り鶴が処分されていたはずからである。

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 ところで、私は、平和を非常に大切であると考えているが、折り鶴を折ることと平和との関係は、直観的にはよくわからない。平和は実現のために努力するものであり、願うものではないような気がするからだ。

 しかし、平和への願いを何かに込めると平和が実現するなら、あるいは、折り鶴の数に比例して平和に近づくなら、私は、毎日、睡眠時間を削ってでも鶴を折り続ける。

 もちろん、折り鶴の数と平和のあいだには、何の関係もない。そもそも、「願い」で平和が実現するなら、それほど簡単なことはない。鶴を折る手間と時間があるなら、尖閣諸島周辺に毎日のように現れる中国の艦船の動きに注意を払ったり、憲法の改正を働きかけたり、竹島がわが国の領土であることをアピールするためふるさと納税の形で島根県を支援したりする方がよほど合理的であるように思われるのだが。

 なお、折り鶴と平和のあいだに関係があることが合理的に証明されたら、おそらく、政府は、大量の労働者を雇用して鶴を折らせるか、あるいは、「折り鶴自動製造機」の開発に膨大な予算を投じるであろう。平和を実現する合理的な手段がわかっているのに、この手段を使わないまま放置すると、不作為で政府が告発される可能性があるからである。