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 最近、地方議員の政務活動費の不正な支出が報道されることが多い。きっかけとなったのは、2014年夏に兵庫県議会議員の男性が明らかに職務とは関係のない用途に300万円も支出していたことであったように記憶している。その後、今年の初めには、東京都知事についても、政務活動費の支出の内訳が問題になっていた。

 地方自治体の議員や首長の役割は、国政における議員や大臣の役割とは少なからず異なる。そのため、特に大都市で暮らしていると、何のために議員や首長がいるのか、その意義は直観的にはわからない。何のために議員や首長かいるのかわからなければ、政務活動費の使途のすべてが何となく疑わしく見えてくるというのは、当然の成り行きであろう。

 実際、「市民オンブズマン」を名乗る団体は全国にあり、政務活動費のあまりにもひどい使われ方は、公表されるようになりつつある。これは、全体としては好ましい傾向である。何と言っても、政務活動費はすべて税金であり、この事実は決して忘れてはならないと思う。

 ただ、「政務活動費は税金から拠出されているのであるから、すべての使途を明瞭に説明すべきである」という要求は、形式的には正しいとしても、この要求に応じて戻ってきた答えが万人を納得させるとはかぎらないし、万人が納得するまで説明を求めるべきでもない。半分の有権者が納得することができる程度で満足するのが適当であるように思われる。

 そもそも、選挙によって議員や首長を決めることにより、私たちは、税金の使途を決める権利を政治家に委ねている。どのような税金の使い方が公共の利益を促進するか、適切に判断するにはそれなりの能力が必要だからである。言い換えるなら、私たちは、万人にすぐに理解可能とはかぎらないことに税金を使う権限を政治家に与えているのである。反対に、誰からも文句の出ないような仕方でしか予算や政務活動費を使わない政治家ばかりであるなら、政治家など不要であり、選挙を廃止してこれを抽選に置き換えても差し支えないであろう。

 建設的な監視がつねに必要であることは確かであり、「論外」と思えるような支出を厳しく取り締まることには意義があるとしても、「一般市民の感覚で理解することのできない支出は認めない」などと語る権利は誰にもない。このような主張が通るなら、それは、代議制民主主義の自殺を意味する。

 実際、もはや監視ではなく、単なる「言いがかり」にすぎないとしか思えないようなことが「オンブズマン」の名のもとに行われる場合もある。これは、ウィキペディアでも抽象的に指摘されている点である。

 地方議会の議員は、地方公務員法第3条に定められた地方公務員の特別職に当たる。勤務時間が決められているわけではないし、毎日出勤すべき職場があるわけでもない。(普通の会社員のように固定した「交通費」が支給されているわけでもない。)また、国会議員と異なり、事務所が割り当てられているわけではないし、専従の秘書がいるともかぎらない。このような状況のもとで多種多様な必要に応じてカネを使う以上、すべてが説明可能であるなど、ありうべからざることであろう。