Ginza street

 銀座、赤坂、日本橋などを歩いていると、「昔の名店」を見つけることがある。「昔の名店」というのは、つまり老舗のことではないかと思う人がいるかも知れないが、ここで「昔の名店」と呼ぶのは、老舗とは少し性質を異にする店である。

 私が考える「老舗」というのは、昔からの同じ商売によって評価を獲得しているばかりではなく、社会とのあいだに同じ関係を長期間にわたって維持している店を指す。つまり、老舗が「老舗」と呼ばれるための条件は、開店のころと同じ客層を相手にしていることであると私は考えている。

 たとえば、開店から100年になる蕎麦屋が都心のどこかにあるとする。この店が老舗であるとは、100年前、この店がまだ老舗ではなかったころ、この店が主な客層として想定していた人々が、現在のこの店で食事している人々と社会的にほぼ同等であること、つまり、両者のあいだに連続が認められることを意味する。このような店は、現在でもいくらか残っているに違いない。

 しかし、現在、いわゆる「老舗」の多くは、たしかに昔から同じ商売を続けてはいるが、客層を大きく変えてしまったように見える。特に都心では、その多くは、もはや、「老舗」となる前から相手にしてきた客層によって支えられてはいない。客の中心を占めるのは、その店を自分が属する社会階層にふさわしい店として認めてきた人々ではなく、その店の名前に引き寄せられてきた観光客である場合が少なくないように思われる。同じ客層から獲得した信用ではなく、「老舗」としての単なる知名度によって商売を続けるこのような店を、私は「昔の名店」と呼んでいる。

 都心では、「老舗」の「昔の名店」化、つまり、観光地化がいちじるしい。老舗が老舗であるなら、みずからに対し老舗としての評判を与えた古くからの客層に合わせて商品を改良したり、営業の形態を工夫したりするはずである。しかし、実際には、多くの老舗は、伝統を守り、昔からのものを「変えない」と称し、変化や成長の努力を放棄して現状に居直っているように見える。そして、現状への居直りを伝統と勘違いする――したがって、鑑識眼のない――観光客を主な標的として商売を続けているように見えるのである。昔の名店とは、本当の意味での老舗であることをやめた店、過去の「動態保存」の場にすぎないと考えることができる。

 たしかに、変化と成長の努力を続けながら、しかし、伝統を受け継ぐことは、つねに一種の冒険であり賭けである。古いこと以外に何の価値もないものであるとしても、これを守り続ける方が安全であるには違いない。けれども、老舗で売られている商品であることが現代の生活の要求を満たさなくなるとき、店の経営は伝統芸能のようなものとなり、最終的には、歴史的な遺産として保存されるにすぎぬものとなるに違いない。