Chris Overworked

Inbox Zeroは生活をせわしないものにする

 毎日の仕事の中にデスクワークが少しでも含まれる人にとって、仕事に関係のあるメールから逃れることは事実上不可能であるに違いない。

 しかし、メールの中には、すぐに返信しなければならないもの、返信するのに若干の作業が必要なもの、返信する必要はないがスケジュールをカレンダーに書き込む必要があるもの、ただ読んで内容を確認すればよいもの、さらに、そもそも読む必要がないもの、それどころか、なぜ送られてきたのかわからないものなど、多種多様なものがあり、このようなメールがすべて同じ1つの受信箱に集まってくる。

 もちろん、受信箱そのものを複数のフォルダーに分割することができないわけではないし、実際、メールを自動的に複数のフォルダーに振り分けている人は多いであろう。それでも、何らかの反応をしなければならない(かも知れない)メールが日々受信箱に届く。放っておけば、未読のメール、あるいは、読んだだけで返信していないメールが際限なく溜まって行くことに変わりはない。

 このようなことを避けるための1つの方法は、届いたメールを即座に、あるいは時間を決めて定期的に処理――ただ「読む」のではなく、「処理」するのである――して削除し、受信箱から消去することである。仕事の生産性向上をテーマとするブロガーのマーリン・マン(Merlin Mann) が提唱するInbox Zeroと呼ばれるテクニックがこれに当たる。

43 Folders Series: Inbox Zero | 43 Folders

(このようなテクニックは、単純な目標を掲げているけれども、細かい手順や作法が決まっているため、実際にはかなり面倒くさいのが普通であり、この点は、Inbox Zeroも同じである。)

 しかし、受信箱をつねにカラの状態に保つためには、どうしても避けられないことがある。それは、メールが運んでくる情報を基本的にすべて受け止めることである。メールが1日に10通しか来ないのであれば、それでもよいであろうが、1日に1000通もメールを受け取るなら、メールを選別し、不要なメールを削除するだけでも、仕事のためも貴重な時間がかなり無駄になるはずであるし、何よりも、生活が非常にせわしなくなるはずである。

 むしろ、受信箱にはメールが溜まるのに任せておき、読む必要がありそう――この「ありそう」という曖昧な基準が重要である――なものだけ選んで読む、という方が、よほど気楽であるように思われる。

未読メールを放置する度胸が人間を自由にする

 アメリカの週刊誌「アトランティック」で次のような記事を見つけた。

Why Some People Can't Stand Having Unread Emails

 受信箱にいくらメールが溜まっていても一向に気にならない人と、受信箱をつねにカラにしておかないと気が済まない人のそれぞれの調査、分析を試みた情報科学の専門家は、後者、つまり、メールをつねにチェックし、受信箱がカラにしておくことにこだわる人がこの作業に駆り立てられるのは、それが自己支配の一部だからであり、メールを読まず、情報を見落とすと、このような人は自己支配できていないと感じる可能性があると語っている。

 Inbox Zeroの信者にとり、受信箱に大量のメールを未読のまま放置し、読む必要が「ありそう」なメールだけをつまみ食いするというのは単なる「だらしなさ」の現われにすぎないけれども、上の記事が正しいとするなら、受信箱に大量のメールを残し、その大半をそもそも読まないことができるのは、むしろ、積極的な能力として評価されるのがふさわしいことになる。

 そもそも、それぞれのメールが読むに値するかどうかは、タイトルを見れば大体わかるものであり、たとえ読むべきメールを見落としたとしても、あるいは、読むのが遅くなったとしても、それが本当に重要なものであるなら、送った側が何らかの仕方でフォローしてくれるから、大ごとにはならないのが普通である。(そもそも、メールというのは非同期のコミュニケーションツールであるから、相手がすぐに読むことを前提にメールを送るなど、本来はありうべからざることなのである。)

 それどころか、メールをチェックする回数が少なく、受信箱に残る未読メールの数が多いほど自由であると考えることは可能であり、実際、下の記事にはそのように書かれている。

Inbox Zero is BS

 実際、読むに値するメールがどのくらいあるのか、また、メールに限らず、こちらの都合を無視して外から舞い込んで来る情報、依頼、連絡などのうち、真面目に受け止めるに値するものがどのくらいあるのか、自分の胸に手を当てて考えてみることは決して無駄ではないように思われる。