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 わが国は、一応、民主主義国家であり、また、法治国家でもある。さらに、国民は、ほぼ完全な言論と表現の自由を与えられ、政治的な発言が取り締まりの対象になることは原則としてない。

 しかし、日本の現状は、世界的に見るなら、例外に属する。世界では、民主主義も法治主義も言論の自由もない国の方が多数である。つまり、私たちが社会生活の当然の条件と見なしていることのかなりの部分は、世界の多くの国では通用しない。ただ、念のために言っておくなら、私は、ここで、「だから、日本はすばらしい」と主張したいわけではない。

 日本人は、このような状況のもとで、ある自由を与えられている。それは、広い意味における精神の自由、内面の自由である。それは、たとえば次のようなことである。

 私たちは、直接税や間接税の形で、さまざまな税金(や社会保険料)を国や自治体に納める。(厳密に言うと、社会保険料は税金ではないが、支払う側にとっては、同じようなものである。)たしかに、これは、法律で定められた義務である。とはいえ、私たちは、納付期限までにただ税金を払えばよいのであり、「よろこんで、まっさきに納税する」ことを要求されているわけではない。

 同じように、法律に従うことが必要である場合にも、求められているのは法律に従うこと、あるいは、法律に違反しないことであり、「法律によろこんで従う」ことは必要ではない。自動車を走らせていて交差点で信号が赤になったとき、要求されているのは、ただ「停止すること」であり、「よろこんで停止すること」ではない。これは、誰が考えても明らかであろう。

 官僚や政治家に陳情するとき、相手の神経を深刻な仕方で逆撫でしたら、あなたは話を聴いてもらえないかも知れない。そして、本来なら得られたはずの利益を逸する可能性がある。それでも、相手を脅迫したり侮辱したりするようなことがないかぎり、あなたが逮捕されることはない。(せいぜい、役所から追い出される程度である。)わが国では、法律に忠実であればよいのであり、権限を越える範囲において官僚や政治家に忠実である必要はないからである。

 あなたが何かの理由でわが国の総理大臣に面会し、その席で、総理大臣があなたに何か冗談を言い、しかし、その冗談が面白くなかったため、あなたが即座に「その冗談は面白くない」と総理大臣に直に言ったとする。もちろん、総理大臣は、大いに気を悪くするであろうが、だからと言って、あなたが逮捕されたり射殺されたりする危険はない。なぜなら、総理大臣に与えられている権利や権限はすべて、法律で定められており、下らない冗談にあなたが同調しなかったからと言って、あなたを逮捕したり射殺したりするなど、法律が許さないからである。あなたは、総理大臣を前にして緊張することはあっても、相手が総理大臣としてふるまっているかぎり、あなたと対等の存在であり、したがって、総理大臣に恐怖を覚えることはないはずである。法を逸脱した形であなたに危害が及ぶ可能性がないからである。

 しかし、独裁者あるいは独裁国家においては、事情は異なる。独裁国家の法律は「よろこんで」従うべきものである。また、独裁者には「よころんで」従わなければならない。だから、ある独裁者が口にした冗談がどれほど下らないものであっても、これに同調しなければ、その場で逮捕されたり射殺されたりする惧れがある。(いや、反対に、独裁者の下手な冗談に同調したことが理由になって逮捕されたり射殺されたりすることもありうる。)だから、わが国の総理大臣とは異なり、独裁者は、あなたの心に恐怖を惹き起こすはずである。

 独裁国家においてもっとも優先的に知るべきことは、誰が権力を持っているのかということであり、もっとも重要なのは、権力を持つ者の機嫌を取ること、あるいは、少なくとも、相手を怒らせないことである。独裁者(たち)が「何をするかわからない」以上、そこには、対等な関係は成り立たないのである。(だから、体制に対する忠誠を言動によって示すよう「自発的に」「駆り立てられる」ことになる。)

 しかし、独裁者(たち)の側から見ると、この「何をするかわからない」自由を手に入れ、民衆がこれに恐怖を抱くこと、そして、自分のことを怒らせないようにしたり、機嫌を取ったりするために努力することが、独裁の魅力となる。この魅力は、麻薬のようなものであり、この麻薬が、権力の上層から下層に向かって浸透し、社会を腐敗させてゆくのである。

 日本でも、「ミニ独裁者」は、社会のいたるところにいる。ただ、幸いなことに、明治以降、社会全体が長期間にわたり独裁的な体制のもとにあったことはなく、また、現在のことろ、わが国が独裁国家になる兆候はない。(北朝鮮や、最近のアメリカを見るにつけ、)これは、わが国にとり、とても幸運なことであるように思われる。