MITSUKOSHI

百貨店は日本に固有の文化的装置だった

 もう何年も前から、小売業界では、百貨店が不振であると言われているようである。私自身、小売業界には何の縁もないが、それでも、ニュースを観たり、新聞を読んだりしているかぎり、たしかに、百貨店に関し伝わってくることと言えば、「売り上げが落ちた」「客が減った」「撤退した」「閉店した」などの消極的な話ばかりである。

 百貨店(department store)は、19世紀半ばにフランスで生まれた形態の小売店であると一般に考えられている。

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 また、日本の場合、百貨店は、独特の社会的な役割を担うものであった。それは、膨大な数の商品を扱う巨大な商店としてよりも、むしろ、少なくとも20世紀末までは、一種の文化的な中心としての役割を期待されてきたように見える。雑な言い方をするなら、「高級」で「非日常的」な消費のための空間だったのである。(だから、いくら客を呼び込むためとは言え、ファストファッションや家電量販店をテナントにするのは、百貨店にとっては自殺行為に当たるはずである。)

百貨店の誕生―都市文化の近代 (ちくま学芸文庫) | 初田 亨 |本 | 通販 | Amazon

 私の理解に間違いがなければ、外国、特にヨーロッパやアメリカでの百貨店は、「高級」や「非日常」の記号ではなく、本当に品質のよいものを時間をかけて真剣に捜すなら、最終的には専門店を訪れるのが最善であると考えられているはずである。(そもそも、「最初の百貨店」と言われるパリのボン・マルシェ百貨店の店名になっている「ボン・マルシェ」(bon marché) とは「安い」(cheap) という意味である。)

 ターミナル駅と百貨店が一体化しているのも日本に固有の光景である。このモデルは、阪急電鉄の創業者である小林一三によって産み出されたものである。沿線の開発により、鉄道の利用者を増やす意図があったと一般には考えられている。

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百貨店の価値はブランドとしての価値

 しかし、現在の平均的な日本人は、百貨店が特別な商業施設であり、百貨店で過ごす時間が非日常に属しているとは感じなくなっているようである。これには、いくつもの理由が考えられるであろうし、実際、いくつもの理由が挙げられている。たしかに、百貨店の衰退と景気の低迷――2016年現在、景気が全体として「よい」のか「悪い」のか、私にはもはやわからないのだが――やネット通販の拡大のあいだには、明瞭な相関関係が認められる。このかぎりにおいて、百貨店が客を惹きつけなくなったのは、百貨店のせいではないと考えることができる。

 ただ、百貨店の魅力がなくなった理由は、これとは別のところにもあるような気がしてならない。それは、百貨店のブランドの問題である。具体的に言うなら、百貨店が増えすぎたのである。

 東京で生まれ、東京で育ち、東京以外の地域に旅行する機会も多くはない人間の無知と不見識を大いに嗤ってもらってかまわないのだが、私は、社会に出るまで、日本の地方都市に百貨店があることを知らなかった。いや、京都、大阪、名古屋、福岡、札幌などにそれなりの百貨店があることは事実として知っていたが、その他の場所に百貨店などがあるなど、私には、思いもよらないことであった。

 だから、たとえば高島屋が和歌山や岡山にあるのを見たときには、少なからず驚いた。というよりも、これらの地域に出店するのは、高島屋のブランドにはふさわしくないように感じられた。私は、地方を貶めているのではない。地方には地方なりの、大切に守られるべき「商業文化」と消費生活があり、大都市の消費生活の記号である百貨店がそのような地方都市にあることに強い違和感を覚えたのである。

 また、このような地方都市へと出店することにより、ブランドが毀損されることになるようにも感じられた。少なくとも私の場合、三越や大丸が県庁所在地ですらないような地方中小都市の駅前に出店しているのを実際に見て、これらの百貨店に対する「ありがたみ」が大いに損なわれたことは事実である。(首都圏でも、立川、八王子、千葉、柏、町田、相模大野、高崎、大宮などに百貨店は不要である。このようなエリアで大手百貨店のロゴを目にする機会を作ることは、それだけでブランドを傷つけるのに十分であると私はひそかに考えている。)

 大手に分類される百貨店でも、全国に2つか3つ店があれば十分であったはずである。三越、高島屋、大丸、伊勢丹などのロゴは大都市の中心部に行かなければ目にすることができないものであった。だからこそ、包装紙に価値があり、(商品そのものというよりも、)そこで買いものするという行動に価値が認められていたのである。店舗の数を減らし、自分のブランドを大切にしないかぎり、百貨店は大型スーパーマーケットと次第に区別がつかなくなり、それとともに、日本に固有の都市文化というのもまた姿を消すことになるに違いない。