The War of Wealth by C.T. Dazey, Broadway poster, 1895

「預金封鎖」がよく知られるようになったのは、21世紀になってから

 私が「預金封鎖」という言葉に初めて注意を向けるようになったのは、今から15年近く前、2003年のことである。この年の秋、私は、次の本の広告を新聞で見つけた。

預金封鎖 「統制経済」へ向かう日本 / 副島隆彦/著 - オンライン書店 e-hon

 この本では、政府が富裕層を主な標的とする預金封鎖を実施して財政赤字を解消するに違いないという予測が語られている。私の記憶と理解に間違いがなければ、この本は、当時、広い範囲に反響を惹き起こし、これがきっかけとなり、日本の言論空間で預金封鎖の問題が繰り返し取り上げられるようになった。この意味において、上の本には重要な意義があるはずである。

政府は、敗戦直後に預金封鎖を実施したことがある

 もっとも、この本のタイトルに敏感に反応したのは、わが国の財政問題にもともと関心があった人々ではなく、むしろ、どちらかと言うと年齢が高い人々であった。わが国では、敗戦直後の1946年に預金封鎖が実際に行われたことがある。この預金封鎖をリアルタイムで経験し、自分や両親が財産のかなりを失って苦労した人々は、政府に対する信頼が特に薄いのであろう、上の本のタイトルを見て、「ああ、そういうことがまた起こっても不思議じゃないな」という感想を持ったようである。

そして預金は切り捨てられた 戦後日本の債務調整の悲惨な現実――日本総合研究所調査部主任研究員 河村小百合 | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン | ダイヤモンド社

 実際、私の周辺では、この本のことを話題にしていたのは高齢者ばかりであった。当時は小泉政権の時代であり、弱者に痛みを強いるはずの「構造改革」がなぜか弱者によって支持されているという不思議な状況のもとで、何が起こってもおかしくないと感じていた高齢者が少なくなかったこととも関係があるのかも知れない。

次の預金封鎖は、前回の預金封鎖を知る世代が少なくなったころにやってくる

 現在の安倍政権の財政政策は、本質的に国家社会主義的であり、財産権を無際限に保証するのではなく、むしろ、財産権は、社会全体の福祉のために制限されることもありうるものと見なされているようである。実際、相続税の対象拡大に代表される富裕層への課税強化がすでに進められている。

 したがって、このような政策の延長上において預金封鎖を実施し、富裕層の資産の大半が政府に吸い取られる可能性はゼロではない。もちろん、預金封鎖が実施されるなら、現在の日本の財政赤字は、その大半が解消され、プリマリーバランスが黒字化されるばかりではなく、財政全体があらゆる観点から一瞬で健全化されることになる。

 もちろん、預金封鎖というのは、予告も予兆もなしに実施されるのでなければ効果を発揮しないから、国民にとっては、つねに「突然」でしかありえない。この意味では、預金封鎖が今日実施されても不思議ではない。

 それでも、あと何年かは――政府がこれを必要と判断しても――預金封鎖が実施されることはないであろう。というのも、敗戦直後に実施された預金封鎖とその影響を直接に知る世代、つまり、戦前生まれの世代が預金封鎖に対しリアルな警戒感を持っているからであり、この世代に知力と体力があるかぎり、政府が徹底的な批判にさらされ、並行して進められるべき他の政策に支障が出ることが避けられないからである。

 したがって、預金封鎖が実施されるとしても、それは、戦前生まれの世代がほぼ姿を消し、団塊の世代が75歳を超え始める2025年ころよりもあとなのではないか……、素人の私は、このように勝手に予想している。