With or Without You

情報には賞味期限がない

 食べものには賞味期限や消費期限がある。それは、数字としてパッケージに印刷されていることもあれば、生鮮食品のように、目で見て確認しなければならないものもある。しかし、いずれの場合にも、ある限界を超えて時間が経過すると食べることができなくなるという点では同じである。

 しかし、情報には、明瞭な賞味期限がない。もちろん、比喩的な意味において「情報の賞味期限」なるものが語られることはあるけれども、この場合の「賞味期限」とは、情報そのものの賞味期限ではなく、当の情報がもともと位置を占めていたコンテクストの賞味期限として考えられるべきである。2012年に発売されたアップルコンピュータの新製品に関する情報は、現在ではその当初の価値を失っており、この意味において「賞味期限切れ」であると言うことはできる。しかし、2012年に何らかの製品がアップルコンピュータから発売されたという事実が事実であるかぎり、この製品の情報は、この事実に関連するものとして、もとの価値とは別の価値を与えられて生き残り続ける。食品が熟成したり発酵したりするのと同じように、情報もまた、異なるコンテクストの中で新しい生命を与えられるのであって、賞味期限が切れたとしても、情報が情報ではなくなるわけではない。これが情報の整理に関する厄介な点である。

情報のバッファーとしての「あとで読む」スペースは、情報の事実上の墓場となる

 ところで、ネットで何かを調べると、当然、非常にたくさんの情報が手もとに集まる。しかし、このような情報のすべてをその場で処理し消化することができない場合、私たちは、これを何らかの仕方で保存することを考える。保存にはいくつもの手段があるけれども、もっとも安直かつスマートと普通に考えられているのは、PocketInstapaperに代表されるオンライン上のブックマークサービスであろう。これらのサービスには、URLを保存するばかりではなく、ウェブページをアーカイブとして保存する機能が含まれている。ページを見つけた時点で、「あとで読む」――Pocketの以前の名称はRead It Laterであった――ことに決めたページのURLをこれらのサービスを使って一時的に保存している人は少なくないと思う。このようなサービスには、流入してくる情報のバッファーとなることが期待されているわけである。

 とはいえ、これもまた多くの人が経験していることであろうが、これらのサービスを使って保存したページのかなりの部分は、最終的に読まれることがない。保存されたURL、しかも、なぜ保存されているのかもはや思い出すことができないような大量のURLが蓄積され、何日も、何週間も、あるいは、何ヶ月も放置されていることが多いはずである。

 もちろん、このような事態になるのには、明白で正当な理由がある。すなわち、もしネットで見つけたページが重要であることが直観的にわかっているのなら、どれほど忙しくても、いや、忙しいほど、「あとで読む」などはせず、「すぐに読む」はずだからである。私が「すぐに読む」のは、相対的に重要な情報が含まれている可能性が高いページなのである。そして、このことは、「あとで読む」ために私たちが保存するページには、重要な情報が含まれる可能性が低いことを意味する。保存しても、結局、読まれないまま放置されるのは、読まないことによる損失が少ないと私が判断してしまっているからなのである。

 見つけたときに目を通さなかったページを保存しておいても、それは、単なる無駄な手間に終わる可能性が高い。つまり、「あとで読む」ために保存するようなページのURLは、最初から保存する必要がないページなのである。

 私自身は、「あとで読む」ものはPocketにさしあたり保存することにしているけれども、ある程度の日数――おおむね1週間――のうちに読まなかったページのURLは、いずれ必ず読む予定があるものを除き――読まずにそのまま削除してしまう。それは、不要な情報であり、作業や仕事にとってノイズにしかならないものだったのである。

 以前に書いたけれども、メールについても事情は同じである。


受信箱にたまった未読メールが多い人ほど自由であるか : AD HOC MORALIST

Inbox Zeroは生活をせわしないものにする 毎日の仕事の中にデスクワークが少しでも含まれる人にとって、仕事に関係のあるメールから逃れることは事実上不可能であるに違いない。 しかし、メールの中には、すぐに返信しなければならないもの、返信するのに若干の作業が必要



 着信に気づいてすぐに読まなかったメールをあとで読む可能性はかぎりなく低く、読まずに削除しても、不利益を被る可能性はほとんどないのである。