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前方から乗車し、中央(または後方)から降りるバスで「ありがとうございました」と言うのは不自然

 上記の問いに対する私の答えは、「場合による」である。

 私は、普段の生活でバスを使うとき、降車するとき運転手には何も言わない。というのも、東京23区内のバスの大半が、前方から乗車し、中央(または後方)から降車する仕組みを採用しているからである。この仕組みは、大半の事業者が運賃を均一にしていることと関係がある。

 したがって、中央(または後方)のドアから降車するとき、車輌のもっとも前方にいる運転手に向かって「ありがとうございました」と声をかけるのは不自然であるように思われる。なぜ不自然であるかと言えば、「ありがとうございます」という声を届けるべき運転手は、声を発する乗客から見て、車輌の内部でもっとも遠いところに身を置いているからである。声を届けたいと思うのなら、声が相手に自然に届く範囲に移動するのが自然であろう。(中央線や山手線の最後尾の車輌から降車するとき、先頭の車輌の運転手に向かって「ありがとうございました」と怒鳴るのが不自然であるのと同じことである。)

地方でバスを使うときは、降車時に運転手に挨拶することが多い

 もちろん、どれほど遠くからでも、「ありがとうございます」と運転手に言うことが、それ自体として悪いわけではない。だから、私自身は、降車するときに何も言わないけれども、「言いたければ言えばよい」と考えている。

 とはいえ、運賃が均一ではない路線のバスを使うときには、前方のドアから降車する際に運賃を支払う。私は、このとき、何らかの仕方で挨拶することにしている。運賃を支払う瞬間には、運転手のもっとも近いところに身を置くことになるから、挨拶は自然である。地方に行くと、バスの運賃は均一ではないのが普通であるから、挨拶する機会も自然に多くなる。以前、沖縄を旅行したときなど、バスを繰り返し乗り継いで移動したため、降車のたびに運転手に挨拶していた。

前方から乗車するなら、乗車時に挨拶してもよい

 さらに言うなら、前方から乗車し、前方から降車する仕組みのバスを使うときには、降車するときばかりではなく、乗車するときに「こんにちは」などと挨拶するのもよいかもしれない。(挨拶すべきだ、とまで主張するつもりはないが、運転手と視線が合ったら、言っても悪くはないと思う。)

 昔、アメリカに行ったとき、地元の路線バスに乗ったことがある。観光地を経由しない路線だったせいか、事前に想像していたとおり、客の大半は、黒人とヒスパニックの通勤客であった。停留所で列に並び、バスを待っていると、やがてバスが到着し、乗客は、バスの前方から順番に乗車し始めた。

 その路線は、均一運賃だったため、乗客は、乗車時に運賃を支払うことになっていたが、乗客が運賃を支払うとき、プロレスラーのような風体の黒人の運転手が乗客一人ひとりに”Hi!”などと声をかけ、乗客の方も、運転手に挨拶を返していた。私は、最初、運転手が顔見知りに声をかけているのかと思って眺めていたが、私が運賃を支払ったとき、運転手は、私にも”How are you?”と声をかけてきた。(声をかけられるとは予想しておらず、少し驚いたけれども、”fine, thanks”と答えた。)

正しい挨拶は「ありがとうございました」ではなく「お世話さまでした」

 ただし、前方から降車する場合でも、降車の際、運転手が私に何も言わなければ、私の方もまた、運転手には何も言わない。運転手が「ありがとうございました」に代表される何らかの言葉を私にかけたとき、これに対する応答として、私の方でも挨拶するだけである。

 これは、言葉の単なる投げつけ合いではなく、コミュニケーションとして理解されるべき事柄である。だから、相手からかけられた言葉に応じて、こちらも言葉を適切に選ぶことが必要となる。

 だから、私は、挨拶する場合にも、「ありがとうございました」とは言わない。この「ありがとうございました」は、カネを受け取る側の挨拶であり、カネを払った側の標準的な挨拶は「お世話さまでした」である。スーパーマーケットのレジで「ありがとうございます」と言われたときにも、「お世話さまでした」と返すべきである。(飲食店なら、「ごちそうさまでした」でもよい。)もちろん、何か特別に親切にしてもらったら、この親切に対する感謝として「ありがとうございました」と言う場合がないわけではないが、これは例外である。

 バスを降りるとき、運転手から何かを言われたら、投げかけられた言葉にふさわしい何かを返す。これが原則であり、乗客の方から先に、あるいは乗客だけが礼や感謝の言葉を口にすることは、コミュニケーションとして不適切であるように思われるのである。