AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

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Koenji

 最近、都市としての東京の現状について、西よりも東の方が発展しており、東京の未来を映すのは東京の東の方、特に隅田川よりも東であるというような見解をときどき見かける。たとえば、私は、次の本でこれを見た。


東京どこに住む? 住所格差と人生格差 (朝日新書) : 速水健朗 : 本 : Amazon

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 この本の著者の速水健朗氏は、基本的に「東京の未来は東から」(?)派であり、次の本でも、同じ観点が前提となっている。

東京β: 更新され続ける都市の物語 (単行本) | 速水 健朗 |本 | 通販 | Amazon

 たしかに、この20年くらいのあいだに範囲を限るなら、東京全体のうち、変化が目立つのは東の方であり、また、観光客を集めるようなスポットも東の方に多い。しかし、このようなことが事実だからと言って、「これからの東京は東の方だ」という結論を導き出すことに、私は違和感を覚える。というのも、都市の発展の場合、人口が流入し、変化が活発に起こり、この変化が要請する新しいライフスタイルに合わせ(再開発に代表される)大規模なアップデートが進行しつつあるエリアがあるとしても、

    1. このようなエリアがその都市の「都市としての中心」となることを意味するわけではなく、また、
    2. このようなエリアにおいて認められる変化ないし発展がこのエリアを含む都市全体の変化ないし発展の方向を指し示しているわけでもない

からである。これは、東京23区の西の方で生まれ、東京23区の西の方で育ち、そして、現在でも東京23区の西の方に住み、40年以上にわたってこのエリアの空気を読んできた人間の実感でもある。成長、変化が活発なエリアが私たちの注意を惹くことは事実である。しかし、都市の都市らしさというのは、この大規模なアップデートが一段落したところから「成熟」という仕方で見えるようになるはずのものである。この意味において、東京の西の方、具体的には新宿区、中野区、杉並区、世田谷区、練馬区、そして、武蔵野市と三鷹市……、戦後に(基本的には住宅地として)大規模な開発が進行したこのエリアは、ようやく、単なる「巨大な村」の状態を脱し、本来の意味における都市へと変化し始めたのではないかと私は考えている。(もちろん、この範囲のすべてが成熟した都市になるわけではない。単なる貧寒な郊外へと転落する部分は少なくはないであろう。)

 都市が今この瞬間のライフスタイルに合わせてアップデートされて行くと、そこには、さしあたり、時間的な移ろいも歴史の積み重ねも認められないのっぺらぼうの街が出来上がる。おろしたてのバスタオルにシワもシミもほころびもほつれも認めることができないようなものである。しかし、大規模な開発または再開発が終わると、この街は、時間の経過とともに、住人の変化に合わせて小規模な手直しが繰り返し行われる。シワ、シミ、ほころび、ほつれがバスタオルを少しずつボロにして行き、さらに、必要に応じて試みられたつくろいの跡も目立つようになるのと同じである。その街には、本格的な歴史的建造物などないかも知れないが、しかし、その都度の必要に応じて、手持ちのリソースを使い回して住人の生活の必要に応える努力のあと、あるいは、環境になじむための住人の努力の跡があちこちに認められるようになる。たしかに、このような無数に繰り返されたミクロのレベルの手直しの積み重ねは、そのエリアに対し「中途半端に古ぼけた」雰囲気を与える。たとえば、西荻窪や浜田山は、そのような街の典型である。けれども、都市の都市たる所以は、若木のように力強く成長して行く姿にあるのではなく、必要に応じてつくろわれながら使われ続けている古ぼけたタオルのような姿にある。つまり、住人と街のあいだにおいて適応を目指して試みられた相互作用の痕跡こそ、都市の成熟と進化の証なのである。

 残念ながら、少なくとも私の知る範囲では、隅田川の東側、特に、アップデートが進行中のエリアには、このような仕方で人間化された街というものはまだ誕生していない。現在、本当の意味において都市化が始まろうとしているのは、むしろ、東京の西の方であるように私には見えるのである。

【関連する記事】

無計画都市 〈体験的雑談〉 : アド・ホックな倫理学

東京のうち、隅田川よりも東に住んでいる人々には実感がないかも知れないが、東京23区の西の端で生れ、今も東京23区の西の端で暮らす私などにとっては、隅田川の向こうは一種の「異界」である。隅田川を向こうに渡ると、「ああ、東京の東だなあ」という(地元の人々にはお




「都心にある郊外」としての豊洲 〈体験的雑談〉 : アド・ホックな倫理学

昨日、仕事が正午で終わり、時間があったため、竹芝のGallery916で開催中の写真展に行った。(この写真展については、いずれ書くかも知れない。) ところで、Gallery916というのは、ゆりかもめの竹芝駅前の倉庫の6階にある。そこで、写真展に行ったあと、建設中の豊洲市場







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 昨日、仕事が正午で終わり、時間があったため、竹芝のGallery916で開催中の写真展に行った。(この写真展については、いずれ書くかも知れない。)

 ところで、Gallery916というのは、ゆりかもめの竹芝駅前の倉庫の6階にある。そこで、写真展に行ったあと、建設中の豊洲市場がこの沿線にあることに思いいたり、そのままゆりかもめに乗った。私は、東京生まれで東京育ちであるが、湾岸エリアに足を踏み入れることは滅多になく、ゆりかもめに乗ったのは昨日が初めてである。


Yurikamome route map.gif
GFDL, Link


 ゆりかもめの路線は、上の地図のように、狭い範囲で曲がりくねっており、そのせいで、ずっと乗っていると、同じ空間を少しずつ違う角度から何度も見ることになる。また、乗ってから気づいたのだが、新橋駅と終点の豊洲駅のあいだの直線距離は大したことがない。したがって、豊洲に行くために新橋からゆりかもめに乗ると遠回りになるはずである。

 ところで、豊洲市場の最寄り駅は、終点の豊洲駅ではなく、2つ手前の市場前駅である。そして、この市場前駅を降りると、降りたところがもう豊洲市場である。

 駅の改札を出て地上に降りると、すぐ目の前にあるのが青果の市場であり、都道484号線に沿って南西方向に進み、交差点を渡ると、そこから先は、道路の両側がすべて水産物関連の施設になっている。今は、それぞれの入口にガードマンが立ち、工事関係の車輌がときどき出入りする程度で、駅の周辺に人気はほとんどない。(そもそも、市場前駅でゆりかもめを降りたのは、私ひとりだった。)

 私は、駅を降りてから、市場の中央を通る都道484号線を歩いた。都道が東雲運河を渡るところに「富士見橋」という名の橋があり、駅を出てからこの橋までが豊洲市場になっている。ただ、このエリアは、少なくとも歩行者の目には、おそろしく非日常的、非東京的、非人間的な空間と映る。午後遅かったせいもあるのであろうが、歩いていて、私は少し心細くなった。

 実際に歩いてみると、富士見橋で東雲運河の対岸に渡ると、空気が少し人間らしくなることがわかる。周囲は相変わらず工場と倉庫ばかりであるけれども、高層マンションがところどころに姿を見せ、それなりの数の歩行者を見かけるようになるからである。「ママチャリに乗った買い物帰りの主婦」にも出会った。

 この道路をさらにまっすぐ進むと、右手に有明スポーツセンター、左手に有明テニスの森が現われ、空気はもっと人間らしくなる。そして、道路をそのまま直進し、首都高速湾岸線の高架橋をくぐると、右手に武蔵野大学の有明キャンパスがある。武蔵野大学を右に見ながら左に折れると、まずTOC有明、次にホテルサンルート有明の前を通り、最終的には、りんかい線の国際展示場駅と東京ビッグサイトを結ぶ歩行者専用のスペースに出て、東京ビッグサイトから吐き出された雑踏に合流する。

 残念ながら、東京の西の方に住む私のような者の目には、ゆりかもめの沿線は、どこも非東京的、非人間的に映る。少なくとも、私の知る東京ではないように見えるのである。それでも、有明の周辺は、時間の経過とともに、いくらか人間味を帯びているようにも思われた。

 一般に、人間が住むところは、時間の経過とともに人間と環境の相互作用により、少しずつその姿を変え、人間になじみのあるものになる。

 東京湾に面したエリアは、今のところ、平均的な東京都民にとっては一種の「異界」であり、具体的な用事がないかぎり足を踏み入れることのない場所であろう。しかし、そこは、何十年かののちには人間化して雑然とした街となり、豊洲市場の周辺もまた――私には想像もできないが――現在の築地と同じように人間化された空間へと変化するはずである。そして、このエリアが人間的な空間、東京都民にとって親しみを抱くことができるような空間になるとき、私たちの方はどのように変化しているのか――人間化した豊洲を訪れる機械が私にあるかどうかわからないが――何となく楽しみにしている。


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