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「雑用」の定義:本来の仕事の邪魔になる「やむをえざる」仕事

 私は、大学の教師である。大学の教師の本来の仕事は、第一に研究である。大学の専任教員になるための最低限の必要条件が「研究業績があること」であり、研究業績がなければ、どれほど教えるのが上手でも、どれほど人柄がよくても、大学の専任教員にはなることができない。当然、雑用処理能力の有無は――ペーパーワークの能力に深刻な欠陥があることがあらかじめ明らかではないかぎり――採用の可否に影響を与えない。

 とはいえ、大学の教師には雑用が少なくない。この場合の雑用とは、「せずに済ませることが望ましい用事」であり、本来の仕事を妨害する「やむをえざる労働」である。そして、大学の専任教員の場合、拘束される時間の点において雑用の多くを占める雑用は、各種の会議への出席である。私の場合、雑用の80%が会議への出席、残りの20%が各種の試験の監督と採点である。

雑用は「有能」な者のところに回ってくる

 とはいえ、私が職場で課せられている雑用の量は、必ずしも多い方ではない。それは、私の「雑用処理能力」があまり高くないことを周囲が承知しているからである。

 そもそも、重要な、大学や所属する部署の利害に直結するような、したがって時間も手間もかかる雑用は、高度な「雑用処理能力」を具えた教員、しかも、雑用を引き受ける意欲を具えた教員(=学内政治家)のところに回ってくる。このような雑用は、失敗や遅滞が許されないのが普通だからである。私のところに回ってくる雑用は、その場かぎりの単純作業であることが多く、私は、忙しそうに動いているときでも、大抵の場合、ほぼ上の空である。

 雑用から逃れたいと思うのなら、雑用ができない人間であると周囲に信じさせるのが一番である。(もちろん、雑用処理能力の不足が度を超えており、「あいつに任せるととんでもないことになる」と思われることは慎重に避けなければならない。)

人を動かすタイプの雑用はつねに厄介

 ところで、大学での雑用には、人を動かすタイプの雑用と、モノを動かすタイプの雑用の2種類を区別することができる。そして、これら2種類のうち、面倒なのは前者、つまり、人を動かすタイプの雑用である。

 誰かと交渉する、誰かの意見に耳を傾ける、誰かを採用する、誰かに命令したり依頼したりする……、このような仕事の首尾は、相手次第であり、自分の都合で処理することが不可能であるばかりではなく、雑用に注意をつねに向けていなければならない。私のような能力の低い者には、到底つとまらない仕事である。(そもそも、人を相手にするなど、すでに教育で十分である。)

 だから、私は、人を動かす雑用を避け、モノを動かす――決まった書類を処理する、規則を変更する、何かを買うなど――雑用ばかりを選んでたくさん引き受けている。私が引き受けている雑用は、量の点では、周囲と大して違いはないけれども、その実質は、誰にでもできるルーチンばかりである。

 なお、大学の場合、組織の規模が小さいほど雑用の負担が重いのが普通である。だから、小規模な大学に在職している教員は、雑用に対する適性を欠いていても、面倒な雑用を押しつけられ、その結果、本来の仕事(=研究)が悪影響を受ける危険が高くなる。雑用の総量は、大学の規模に比例しないようである。