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電子書籍は「蔵書」ではない

 電子書籍の登場以前、蔵書を管理するときに考慮しなければならないのは、紙の本だけであった。また、現在でも、電子書籍とは無縁の生活を送っているなら、電子書籍の扱い方に頭を悩ませることはないであろう。

 しかし、自分が所蔵している本を何らかの仕方で管理したり整理したりする必要に迫られている人の大半にとり、読書は、紙の本による場合もあれば、電子書籍による場合もあるというのが普通であるはずである。つまり、大半の人は、紙の本と電子書籍が混在した「蔵書」を抱えているに違いない。

 とはいえ、紙の本と電子書籍を一元的に管理する試みは、さまざまな困難に出会うはずである。たしかに、ブクログや読書メーターのようなサービスを使えば、少なくともデータの上では紙の本と電子書籍を同じ蔵書として扱うことが可能である。しかし、紙の本とは異なり、電子書籍の1冊は、書架に位置を占めていないから、両者が混在した状態を「現物」の形で一覧することはできない。少なくとも整理という観点から考えるなら、電子書籍を紙の本と同じ意味での「蔵書」と見なすことは困難である。

電子書籍は「財産」ですらない

 ところで、最近――と言っても、もう何年も前からであるが――紙の本を裁断してスキャンし、みずから電子書籍化する試みが社会の広い範囲で見られるようになった。これは、一般に「自炊」と呼ばれている。また、同じタイトルについて紙の本と電子書籍の両方が販売されている場合、紙の本ではなく電子書籍の方を購入する人も多いようである。たしかに、紙の本を電子化したり、最初から電子書籍を購入したりすることにより、新たなスペースを作ることが可能となる。たしかに、誰にとっても、蔵書について最優先で解決しなければならないのは「収納」の問題であるから、三次元空間に位置を占めない電子書籍には、すでにこれだけでも大きなメリットがあると言うことができる。

 しかし、私が所蔵している紙の本は、私が手放さないかぎり、死ぬまで私の手もとに置くことができるのに対し、電子書籍については、今後何十年にもわたって参照可能であるという保証がない。電子的なデータは消えてしまうかも知れないし、電子書籍のうち、たとえばアマゾンで購入し専用の端末やアプリを使わなければ読むことのできないものは、提供する側の都合で閲覧することができなくなる危険にさらされている。電子書籍は、蔵書ではないばかりではなく、財産ですらないのである。

スペースの節約が極度に切実な問題なら、電子書籍への置き換えは選択肢の1つ

 このような点を考慮するなら、あるタイトルを紙の本ではなく電子書籍で購入するというのは、割高であることがわかる。電子書籍の価格が同じタイトルの紙の本の価格の3分の1程度ならばともかく、両者に大した違いがないのであれば、電子書籍をあえて購入する理由はないはずである。

 ただ、電子書籍を購入したり、紙の本をみずから電子書籍化したりすることの大きな理由の1つにスペースの節約があることは確かである。実際、たとえば、漫画を何百冊、いや、何千冊も所蔵している人にとり、収納場所の確保は、特に重要な問題であるはずである。

 だから、蔵書が占有しているスペースを解放するために蔵書の電子化を進めようとしているのなら、次のように考えてみるとよいように思われる。すなわち、現在所蔵している漫画100冊が相当なスペースを占有しているとき、このスペースを空けるためにいくらまでなら支払うことができるか、胸に手を当ててみずからに尋ねるのである。

 漫画1冊が500円であるとすると、漫画100冊は50000円になる。漫画の場合、電子書籍の価格は、紙の本とほぼ同じである。したがって、漫画100冊分のスペースを空けるために50000円以上支払ってもかまわないのなら、今後は、すべての漫画を電子書籍で購入してもよいであろう。しかし、漫画100冊分のスペースを空けるのに50000円も支払うつもりがないと考えるのであれば、それは、収納の問題が切実ではないことの証しであり、蔵書の電子書籍化を進めることには慎重になるべきなのであろう。