AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

タグ:非常勤講師

Boys of Spring

勉強を続けていれば、誰もが大学の専任教員になることができるわけではない

 大学の専任教員になってから18回目の春が来た。

 毎年、新年度のこの時期は、新しい時間割や新しい雑用に慣れず、多少疲れている。だから、ゴールデンウィークまでの日数をカウントダウンしながら、毎日をやり過ごすのが普通である。

 ただ、それとともに、この時期、私はいつも、同じ感慨を抱く。それは、大学の専任教員の身分についてである。

 大学の専任教員、特に比較的名の通った大学の専任教員の中に、時間的な余裕がないとか、研究資金が足りないとか、雑用が多いとか、学内の制度がよくないとか、文部科学省が鬱陶しいとか、このような愚痴をフェイスブックやツイッターを使って拡散させている人々が少なくない。たしかに、私自身、大学の片隅に身を潜めているから、これらの問題が決してどうでもよいわけではないことは承知している。また、このような人々は、ただ愚痴を言っているだけではなく、それぞれが置かれた環境を改善するため、具体的に努力を続けているのであろう。

 けれども、大学の専任教員というのが、ある意味において「少数の選ばれた人々」であるという事実もまた、決して見過ごされてはならないと思う。

 大学を卒業し、大学院に進み、博士課程を修了して学位を始めとするしかるべき資格を取得すれば、誰でもどこかの大学の専任教員になることができるわけではない。むしろ、大学の専任教員のポスト1つの公募に対し、何十人、いや、場合によっては百人を超える応募があるのが普通であり、公募件数が特別に多い分野(たとえば英語やスペイン語のような)でないかぎり、大学院の博士課程を修了して博士号を取得し、さらに、何年にもわたり、何十件もの公募に応募しても、結局、どこにも採用されず、大学の専任教員になることができないまま一生を終える人の方が、(少なくとも人文科学系では、)断然多数派なのである。

 このような人々の中には、学界から静かにフェイドアウトしてしまう人もいれば、本務校を持たないまま、劣悪な労働条件のもとで「専業非常勤講師」として研究と教育に関与し続ける人もいる。(専業非常勤講師の問題については、以前、次のような記事を書いた。)


大学の非常勤講師の何が問題なのか : AD HOC MORALIST

待遇を考えるべきなのは「専業非常勤講師」 何日か前、次のような記事を見つけた。非常勤講師が雇用確認申し立て 東京芸大は「業務委託」:朝日新聞デジタル 大学の非常勤講師の身分をめぐる問題は、何年も前から、繰り返し報道されてきた。私の好い加減な記憶に間違いが

専任教員になれなかった何倍もの人々の複雑な気持ちを背負う

 大学の専任教員になるには「適齢期」というものがある。たしかに、文部科学省が年齢による差別を禁止しているから、現在では、募集の条件に年齢制限が明記されることはない。それでも、常識的に考えるなら、人文科学系の場合、(任期なしの)専任のポストを最初に獲得する年齢は、よほど特殊な分野でないかぎり、40歳前後が事実上の上限になる。40歳前後までにどこの大学の専任教員にもなることができなかった人は、その後の人生において大学の専任教員にはなる可能性はほとんどないであろう。

 大学の専任教員というのは、研究者の広い裾野――こういう言い方が失礼に当たらないとするなら――に支えられた頂上のようなものである。専任教員のあいだで交わされている愚痴など、専任教員になりたくてもなれなかった人々にとっては気楽な「空中戦」のようなものであると言うことができる。言い換えるなら、1人の専任教員の背後には、専任教員になることができなかった何倍、何十倍もの研究者、元研究者、研究者予備軍などがいるのである。

 もう何年も前になるが、ある元プロ野球選手――駒田徳広氏だったと思う――が、どこかのテレビ番組で、おおよそ次のような意味のことを語っているのを聞いた。「実際にプロ野球選手になる若者の何倍、何十倍もの若者がプロになるために必死で努力し、しかし、結局、ほとんどはプロになることができず、別の人生を歩むことを余儀なくされる。だから、プロとして一軍でプレイすることができる自分たちは、プロになりたくてもなれなかったたくさんの人々のかなわなかった夢や期待を背負い、このような人々の気持ちに応えるような仕事をしなければいけないと思っている。

 同じことは、大学の専任教員についても言うことができる。いや、野球を始めてからプロ野球選手になることを最終的に諦めるまでの期間が10年程度であるのに対し、研究者として身を立てることを志してから、この志を諦める決断を強いられるまでの年月が30年近くになることを考えるなら、プロ野球選手が背負う夢や期待よりも大学の専任教員が背負う夢の方が重く、また、屈折したものとなるであろう。

 大学の専任教員が大学、文部科学省、学界などへの苦情をSNS上で吐き出すことがそれ自体として悪いわけではない。ただ、研究者の道が閉ざされた多くの人々を代表しているという――あるいは恨み(?)――ことをときどき思い出し、自分が置かれた立場をこのような観点から見直すこともまた、決して無意味ではないように思われる。

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待遇を考えるべきなのは「専業非常勤講師」

 何日か前、次のような記事を見つけた。

非常勤講師が雇用確認申し立て 東京芸大は「業務委託」:朝日新聞デジタル

 大学の非常勤講師の身分をめぐる問題は、何年も前から、繰り返し報道されてきた。私の好い加減な記憶に間違いがなければ、「高学歴ワーキングプア」の問題、5年未満での雇い止めの問題、そして、今回の問題が特に大きく取り上げられていたように思う。もちろん、新聞には載らないような小さな出来事は無数にある。詳細は、上の記事で言及されていた首都圏大学非常勤講師組合のホームページで公表されている。

首都圏大学非常勤講師組合

 非常勤講師の給与が低く抑えられたり、コマ数を減らされたり、雇用――原則として1年契約――が更新されなかったりすることには、大学や学術研究をめぐる社会的状況に関する複雑な事情や思惑があり、これを簡単に説明したり解決したりすることはできない。しかし、このような措置が非常勤講師の生活に直に影響を与える可能性が高いことは事実である。そこで、この点に関し最低限の事実を整理し、その上で、私が問題と考えるところを簡単に記したい。

 もともと、非常勤講師というのは、自分の大学の専任教員ではカバーすることのできない分野の専門家を外部から招聘し、専門分野を講義してもらうために設けられた身分である。したがって、非常勤講師として想定されていたのは、すでにどこかの大学の専任教員――つまり「本務校」がある――研究者であった。だから、同じ非常勤講師が何年にもわたって同じ大学で授業を続けて担当すること、まして、非常勤講師の給与で生計を立てることなど予想されてはいなかったのである。

 ところが、現在、大学で非常勤講師の身分にある者のうち、かなりの部分が本務校を持たず、非常勤講師の給与に生計を頼っている。また、大学の方も、このような非常勤講師を、授業を担当する単なる労働力と見なしている。本務校を持たないこのような非常勤講師は、一般に「専業非常勤講師」と呼ばれている。上の記事の後半でコメントが紹介されている北村紗衣氏は、形式的には、本来の意味における非常勤講師であるが、同じ記事の冒頭で取り上げられている川嶋均氏は――私の認識に間違いがなければ――専業非常勤講師である。そして、大学の非常勤講師に光が当たるたびに問題となるのは、専業非常勤講師の方である。

 すでに何十年も前から、非常勤講師のシステムは、現実の要求から乖離し、変則的に運用されてきたと言うことができる。大学の教育、特に、その基礎的な部分――専業非常勤講師の大半は外国語の授業の担当者である――が不安定な生活を強いられた教師によって担われているという現状は、日本の高等教育の将来にとり、決して望ましいことではない。(東京の私立大学の場合、1人の学生が入学してから卒業するまでに履修した語学の授業の担当者がすべて非常勤講師であったということは決して珍しくない。)これは、何らかの仕方で改善されねばならない事態であるに違いない。

「研究者番号」を付与する対象を拡大すれば、「貧すれば鈍する」はある程度まで避けられる

 非常勤講師は、給与が低く抑えられ、身分が不安定であるばかりではない。大学の専任教員には与えられているのに、非常勤講師には与えられていないものは少なくない。非常勤講師には研究費が支給されず、教授会に出席する権利もなく、また、ほとんどの大学では、大学が発行する学術雑誌等の刊行物に執筆する権利もない。さらに、たとえば上で紹介されている東京大学のように、電子ジャーナルや図書館へのアクセスが制限される場合もある。

 とはいえ、専業非常勤講師の状況をさらに深刻にしているのは、次の点である。すなわち、特に文系の場合、大学院生のときにはほぼ無制限にアクセスできていた大学のリソースから切り離されてしまうことにより、(本業であるはずの)研究活動が停滞し、そのため、専業非常勤講師の地位から抜け出すことが困難になるという点である。これは一種の悪循環であり、専業非常勤講師になってからの年月が長くなるほど、(研究歴の長さに反比例して)大学の専任教員になる可能性が低くなるのである。(理系の場合は、そもそも、大学に所属していなければ、研究の遂行自体が不可能である。)大学の専任教員なら、給与とは別に黙っていても与えられる最低限の研究資金すら、専業非常勤講師は、少ない給与の中から捻出しなければならないのであるから、「貧すれば鈍する」ようになるとしても、無理のないことであろう。

 さらによくないことに、大学の専任教員と非常勤講師とのあいだのこのような境遇の違いは、文部科学省によって追認、固定されているように見える。

 日本学術振興会(と文部科学省)は、「科学研究費補助金」(いわゆる科研費)を交付することにより、学術研究を支援している。その総額は、下のページに記されているように、年間二千億円を超えている。これは、「競争的研究資金」と呼ばれるものの大半を占めており、この数字を表面的に見るなら、政府は、高等教育や科学技術振興に十分な資金を投入していると言うことができないわけではない。

科研費データ | 科学研究費助成事業|日本学術振興会

 しかし、このように潤沢に用意されているはずの科研費を申請し、他の研究者と競い合って研究費を獲得することができるためには、1つの条件がある。それは、文部科学省から「研究者番号」を付与されていること、そして、「所属機関」を持っていることである。研究者番号は、原則として、高等教育機関(大学、短期大学、高等専門学校等)に研究のために雇用されている者にしか付与されないから、所属機関があることと研究者番号を持っていることはほぼ同じである。(とはいえ、研究者番号は「一生もの」であるから、所属機関を離れても失われるわけではない。)

 科研費の申請書類には、必ず研究者番号を記入し、所属機関を通じて書類を提出しなければならない。(2017年2月現在では、)研究者番号を持たず、所属機関を持たない者には、科研費を申請する権利がない。当然、専業非常勤講師は、大抵の場合、研究者番号を持たない。(どこかの大学を定年退職したあと、非常勤だけを続けている者は除く。)研究者番号を持たなければ、競争的研究資金を獲得することはできず、研究業績を挙げることが困難となり、専任のポストに就く可能性も低くなり、非常勤講師としての給与で生計を立てなければならず、さらに研究が滞る……。これは、明らかな悪循環であろう。

 そして、この悪循環を解消するには、一定の条件を満たした者には、専業非常勤講師であっても、研究者番号を一律に付与し、非常勤で授業を担当している大学を所属機関と見なし、ここを通じて科研費を申請できるよう仕組みを作り替えるのが捷径であるように思われる。

 かつては、獲得する科研費が少額の場合、所属機関には何の得もなかった。交付される資金は全額が研究者に交付される「直接経費」だったからである。しかし、10年くらい前から、交付される額が少ない場合にも、大学が研究環境を整備するために使用することができる「間接経費」が大学に交付されるようになり、この「餌」につられて、最近は、どの大学も科研費の申請に力を入れるようになった。専業非常勤講師にも科研費を獲得する機会が与えられるようになれば、(研究資金を管理するために大学が新たに負うはずのコストを考慮しても、)非常勤講師を雇用する新たなメリットが大学に生まれるはずであり、非常勤講師の待遇がこれによって改善される可能性は決して小さくないように思われるのである。

 下の記事にあるように、非常勤講師に研究者番号を付与し始めた大学も少数ながらあるようであるが――学内に研究プロジェクトを作り、非常勤講師を客員「研究員」として登録しているのであろうか?――これは、あくまでも、各大学の個別の工夫(あるいは裏技)によるものである。ただ、そもそも、東京大学を始めとするいくつかの国立大学のように、最初から大学が非常勤講師を雇用していないのなら、このような措置は最初から不可能であるに違いない。

大学非常勤教員の科研費取得について

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