葬式

 直接あるいは間接の知人が亡くなり、何らかの仕方で遺族に香典を渡す。大人であれば、このような経験は誰にでもあるに違いない。そして、大抵の場合、葬儀の場で香典を渡すと、しばらく経ってから、何らかの「香典返し」が送られてくる。百貨店や贈答品の専門店が用意したものが送られてくることもあれば、亡くなった人の好物のようなものが届くこともある。いずれにしても、やや日持ちのする食品に代表される「消えてなくなるもの」が香典返しに選ばれることが多く、「消えてなくならないもの」は忌避されるのが普通である。

 ところが、何年か前から、葬儀に出ると、メール便や宅急便で分厚い冊子体のカタログが香典返しとして送られてくるようになった。いわゆる「カタログギフト」である。しかし、私自身は、1度だけこのカタログを開けてみたことがあるけれども、それ以降、カタログが届いても開封したことがない。香典返しとして送られてくるカタログに強烈な違和感を覚えるからである。

 香典返しにカタログを送ることを最初に思いついたのが誰なのか知らないが、これは、葬儀の意味を不可逆的な仕方で変質させることになったように思われるのである。

香典返しは、故人または遺族にゆかりのある品物とするのが筋

 そもそも、香典返しというのは、故人を送る儀礼に参加してもらった人々への御礼である。つまり、香典と香典返しのあいだに見出されるのは、支払われたカネとその対価としてのモノの交換ではない。それどころか、「香典返し」という名称に反し、香典返しというのは、香典に対する返礼ではなく、故人を偲んでもらったことに対する返礼なのである。したがって、香典返しとしてもっとも望ましいのは、故人や遺族にゆかり(=縁)のある品物であり、しばらくのあいだ故人を思い出すよすが(=縁)となるようなものであるはずである。

香典返しは「ギフト」ではない

 もちろん、遺族には、ゆかり/よすがの役割を担うような品物を選ぶ余裕などないのが普通であるから、無個性的な贈答品が結果として選ばれるのはやむをえないことであるかも知れない。ただ、注意しなければならないのは、香典返しが決して「ギフト」ではなく、あくまでも、故人を思い出すきっかけを作るもの、故人をめぐる記憶の記号にすぎない点である。カタログギフトを香典返しに使う理由として関係するウェブサイトで繰り返し語られているのは、「もらってうれしいもの」を各人が選ぶことができる点であり、実際、カタログギフトのメリットはここにあると普通には考えられているようである。しかし、本当は、これは、カタログギフトが全力で忌避されるべき第一の理由と見なされねばならない。

 そもそも、形式的に考えるなら、人々が葬儀に参列するのは、香典返しが欲しいからではない。香典返しの内容が葬儀に参列するかどうかの決定に影響を与えることはないはずである。特定の商品が欲しいのなら、自分で買う方が時間の点でも手間の点でもはるかに効率的である。葬儀に参列して香典返しとしてもらうなどという迂路をあえて選択する者などいないであろう。

香典返しを受け取るのは故人を見送る儀式の一部

 さらに、葬儀において主役となるのは、遺族(と故人)である。葬儀は、決して参列者が楽しむためのイベントではない。だから、葬儀が楽しいものである必要はないし、遺族にとっては、香典返しとして送り出す品物の選択に当たり参列者の好みを考慮する必要もないことになる。いや、参列者の好みを考慮して香典返しを選ぶことは、香典返しを当てにして参列する者を想定することであり、むしろ、参列者に対し失礼であると私は考えている。

 そして、このような点を考慮するなら、香典返しというのは、それ自体が主題的な注意の対象となってはならない品物であることになる。香典返しとして送られてきた品物を受け取るというのもまた、故人を見送る儀式の一部なのであり、香典返しは、その内容について受け取る者があれこれと論評するような性質の品物ではないのである。

 同じ理由によって、香典返しとしてカタログを送り、カタログから商品を選ばせるというのも、参列者に対し失礼であると私は考えている。というのも、カタログを開封し、特定の商品を選び、注文するという行動は、その商品に対する明瞭な欲求を前提とするものであり、カタログを送った遺族は、故人とは何の関係もない商品に対する欲求をあらわにするよう参列者に求めていることになるからである。私は、香典返しとしてカタログを受け取っても、これを開封しないことにしている。つまり、「何も選ばない」ことを選択している。自分の私的な欲求をあらわにするきっかけとして故人を利用するのは、故人に対し失礼だからであり、香典返しが葬送の儀式の一部をなすものであるかぎり、その意義を損ねることになる。カタログを開封せず、何も選ばないことは、故人に対する最低限の礼儀であると私は信じている。

 香典返しは、参列者の好みとは無関係に選ばれるべきものである。(同一人物の葬儀が複数回行われることはなく、葬儀の「リピーター」などありえないのだから、)「もらってうれしいもの」を送るくらいなら、「もらってもありがたくないもの」を送るか、あるいは、何も送らない方がまだましであるに違いない。

葬儀は通販なのか

 ところで、現在はまだ、インターネットにアクセスすることのできない老人への配慮なのか、香典返しとして冊子体のカタログが送られてくる。しかし、遠くない将来、葬儀に参列すると、会場でURLとパスワードが渡され、オンライン上のカタログにアクセスして香典返しを選ぶ……、などというシステムが作られるであろう。(すでに現実のものになっているのかも知れないが、私は知らない。)そして、そのとき、葬儀は、「ふるさと納税」と同じように、通販への堕落の道を踏み出すことになるに違いない。