都立新宿高校

あなたにとって高校が「通過点」でしかないのなら、「高認」を受けるべき

 「なぜ『高認』を受検せず、高等学校に通い続けるのか。」私自身は、この問いに答えることができない。

 というのも、全日制の普通科を卒業し大学に入学したり就職したりすることを計画しているのなら、高等学校にダラダラと3年も通うのは時間と体力の無駄であり、自分で勉強するなり予備校に通うなりして高認(=高等学校卒業程度認定試験/高卒認定)に合格し、人生のコマを先に進める方がよほど効率的だからである。

高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定):文部科学省

 もっとも、「高校で友だちができる」とか「高校には課外活動がある」とか、進路への通過点以上の何ものかを高等学校に対し具体的に期待しているのなら、中学校を卒業して高等学校に入学し、ここで3年間を過ごすのは、決して悪いことではないかも知れない。

 また、高等学校に通わず高卒認定で資格を取得するには、(1)ある決まった目標を設定し、(2)この目標から逆算して勉強の計画を自主的に作り、そして、(3)この計画を着実に実行する覚悟が不可欠であるけれども、家庭環境の面でも、また、本人の性格や自覚の面でも、何らかの強制力が働かないと勉強の優先順位が際限なく下がり、必要最低限の勉強時間すら確保することができないという事情がある人もいるかも知れない。この場合、高等学校には、外部からの圧力を遮断して勉強できる環境を無理やり作るという効用が認められることになる。

 しかし、このような事情がなく、また、高等学校が単なる通過点であるなら、高認という選択肢を無視する手はない。

高認は大検よりもメリットが大きい

 高等学校卒業程度認定試験(=高認)は、2005年に、それまでの大学入学資格検定(=大検)の廃止とともに作られた新しい資格試験であり、趣旨は同じである。つまり、何らかの事情によって高等学校に通学しない者に高卒と同等の資格を与えるための試験なのである。(詳細は文部科学省のウェブページを参照。)

 ただ、高認が大検とまったく同じものであるなら、私は、高認が高等学校の3年間をいわば「中抜き」する有効な手段であるとは考えなかったであろう。高校が通過点にすぎないと思うなら高認を受けたらよいと私が言うのは、高認には、大検にはないいくつかの新しいメリットがあるからである。主なものは、以下のとおりである。


    1. 全日制普通科の高等学校に在籍したまま受検できる。(大検の時代には「退学」が受検資格になっていた。)
    2. 受検はすべて筆記試験で、科目数は、選び方によっては8科目まで減らせる。(大検では最大16科目の受検が必要で、その中には実技試験もあった。)
    3. 高等学校で単位を取得した科目は受検が免除される――これは大検でも認められていた――だけではなく、高認で合格した科目は、申請により高等学校の単位に算入される。
    4. 受検機会が年に2回ある。(大検では年に1回だった。)


 高等学校に通って単位を取得するのと並行して高認を受検し、両方を合わせて高認の全科目が合格扱いになった時点で高等学校を退学するのがもっとも合理的であろう。これはすでに、「高等学校を『中抜き』しろ」と文部科学省が言っているようなものである。(だから、私にとっては、高認が発足してから10年以上が経過した現在でもなお16歳から18歳の人口の99%以上が高等学校に通っていることの方が不思議である。)

高認の資格には若干の制限がある

 ただし、高認は、それ自体としては「高卒程度の学力を証明する」単なる資格であって「学歴」ではない。したがって、ここには若干の制限があることもまた知っていることが必要である。

 たとえば、大学に入学しようとする場合、国公私立大学の一般の入学試験の受験について制限はないが、「AO入試」「自己推薦入試」などと呼ばれる特殊な形式の入学試験については、大学によっては高認の合格者に受験資格を与えていない。また、形式的には受験資格が与えられていても、課外活動の実績を証明するもの、あるいは、高等学校の担任の推薦状を願書に添付することを要求する大学が多く、高認の合格者は、このタイプの入試からは事実上締め出されていると考えた方がよい。(高認合格者には、文部科学省が発行する合格証明書と成績証明書しかない。)

 また、当然のことながら、これは、高等学校を「中抜き」し、中学校と大学のあいだ、または、中学校と企業などのあいだに橋を架けるための資格試験であるから、進学も就職も予定していないのなら、受検するのは無駄である。


 念のために言っておくなら、私は、万人に対し「高認を受けるべきである」と言うつもりはない。ただ、勉強を自主的、計画的に進める自信があるのなら、高等学校が面白くない人、いじめられてつらい人、他にやりたいことがある人にとり、高等学校を離れるというのは、真面目に検討するに値する選択肢であるように思われる。

 たしかに、高等学校という組織に身を寄せていることによって得られる安心は非常に大きい。それは、高等学校を実際に退学し、家族以外のすべての集団と縁を切ってしまったときの心細さを体験すれば、すぐに確認できることである。しかし、同世代の99%以上が高等学校に通っているというだけの理由によって、あなたもまた、同じように高等学校に通わなければならないわけではない。高認について考えることは、高等学校に通う意味についても考える機会になり、したがって、実際に高認を受検するかには関係なく、自分の生活を見直す機会になるように思われるのである。