光悦寺

 江戸っ子には「京都好き」が多い。私も京都は大好きである。

 京都のものなら何でも好き、というわけではないが、それでも、好きなものはいろいろある。

 ただ、東京生まれ東京育ちの人間から見た京都は、他の背景を持つ人々の目に映る京都とはいくらか異なる。

 日本人の多くにとって、京都は、自分が住む街よりも大きな都会であろう。これに対し、江戸っ子から見た京都は、少なくとも規模の点では、自分の住む街の10分の1しかない地方都市である。江戸っ子の注意を惹く京都には、おのずからある意味における「偏り」が生まれることになるはずである。

 そこで、私自身が「京都」と聞いてすぐに思い浮かべるものをいくつか挙げてみることにする。

借景がすばらしい

 光悦寺は、京都の北部、鷹峯にあり、書や陶芸で知られる本阿弥光悦の旧宅を光悦の死後に改装して生まれた寺である。

京都観光Navi:光悦寺

 だから、光悦寺は、名刹、古刹が多い京都の寺としては新しい方に属する。(しかも、現存する建物はすべて、明治以降のものである。)実際、ここを寺院として訪れる人は決して多くはないに違いない。

 むしろ、東京の人間にとり、この寺の最大の魅力は庭園である。庭園に借景として取り込まれている鷹峯三山がすばらしい(←非常に月並みな感想)。私が訪れたときには、平日の午前中で、他に誰もいなかったため、「大虚庵」の縁側に腰を下ろし、しばらくのあいだボンヤリとあたりを眺めていた。

最適の時期は桜が散ってから梅雨入りまでのあいだ

 光悦寺をのんびり訪れるのなら、最適の時期は新緑のころであると思う。借景となっている山の緑、そして、境内の緑が美しいからである。反対に、秋に光悦寺に行くことはすすめない。ここは紅葉の名所であるけれども、人出が多く落ち着かないはずである。

 なお、光悦寺を出て左方向に歩いて行くと、林の中を抜ける急な下り坂の入口に辿りつき、この坂を下りて行くと、鏡石通りに出る。これは、大文字山の麓を走る通りであり、ここもまた、独特の風情がある。

 だた、地図を見るとわかるように、この通り――ゆるい下り坂――を歩いても、すぐにはどこにも出られない。散歩を短時間で切り上げるには、鏡石通りに面した複合商業施設の「しょうざん」――ここの庭園は、手入れが行き届いてそれなりに美しい――に裏口から入って千本通りへと出るのが近道であるが、そもそも、「しょうざん」の施設を利用せず、ただ敷地を無断で通り抜けることになるわけであり、私の感覚では、これは決して好ましくないように思われる。