AD HOC MORALIST

人間らしい生き方をめぐるさまざまな問題を現実に密着した形で取り上げます。

タグ:NHK

1024_SDIM0144

受信料を支払わない者に文句を言う資格はない

 NHKに受信料を支払わず、これを滞納し続けたり、あるいは、確信犯的に支払いを拒否したりする者がいる。しかし、このような行動は、私にはまったく理解することができない。

 20年以上前、まだNHKが受信料を集金していたころ、長期間自宅を空けていたため支払いが遅れたことが1度だけある。しかし、このようなハプニングを除けば、私は、自分のテレビを持つようになってから現在まで、NHKの受信料をずっと支払ってきた。

 もちろん、NHKの番組に文句がないわけではない。それどころか、電波の純粋な無駄遣いとしか思えないような番組はいくつもある。以前に書いたように、その代表は、夏の高校野球である。あれは、高校野球にまったく興味のない私にとっては、一種の電波ジャックである。また、番組の前後にNHKの別の番組の宣伝CMを挿入するのも、やめてもらいたいと思っている。以前、誰かが、このCMが一種の迷惑行為であり、「知人の家を訪ねたら、こちらが望んでもいないのに、家族の旅行や運動会のビデオを延々と見せられるのと同じようなもの」であるという意味のことを語っていたが、まったくそのとおりであろう。

 ただ、私は、いくら高校野球のために放送時間を使うのが嫌だからと言って、あるいは、CMが気に入らないからと言って、これらを理由に受信料の不払いを計画したことはない。受信料を支払うことは、NHKに文句を言う資格を手に入れるための必要最低限の条件であると考えるからである。

「罰則がないから受信料を支払わない」という主張には動物的なにおいがする

 NHKとの受信契約と受信料の支払いは、放送法第64条の以下の条文によって定められた義務である。

協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送(音声その他の音響を送る放送であつて、テレビジョン放送及び多重放送に該当しないものをいう。第百二十六条第一項において同じ。)若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない。

 もっとも、受信料の不払い運動に携わっている者たちが主張するように、また、NHK自身も確認しているように、上記の義務に違反しても、刑事罰が科せられるわけではない。そもそも、法律において義務として定められているもののすべてが違反に対する罰則を持っているわけではない。(これは、法律の不備ではない。受信料を支払わない者に対し、放送法を根拠にNHKがいつでも損害賠償を請求することができると考えられているから、罰則規定がないのである。)

 「受信料を支払わなくても罰則がない」という理由で滞納を続けるふるまい、あるいは、支払いを拒否するふるまいには、動物的なにおいがする。なぜなら、このような理由による受信料の不払いの延長上には、「制裁がなければ何をやってもかまわない」という主張が認められるからである。罰則があるかどうかには関係なく、さしあたり法律が義務と定めるものを尊重することは、社会集団を構成する一人ひとりに対し当然のこととして要求されるふるまいである。制裁が課せられなければルールを守れないというのは、もはや人間ではなく、動物であると私は考えている。

「NHKの番組が反日的だから受信料を支払わない」という理屈は逆立ちした「反日無罪」

 しかし、世の中には、「NHKの番組を観ないのに受信料を支払うのはおかしい」「カネがない」などという即物的な理由にもとづいて支払いを拒否するのではなく、「NHKの番組の内容が反日的である」という主張を根拠に受信料を支払わない者がいる。


 主にいわゆる「右翼」が表明してきたこの理屈は、私には不可解なものとして響く。むしろ、「『正しい信念』(?)にもとづくふるまいなら、それが違法であってもかまわない」というのが彼らの見解であるなら、ここには重大な問題が含まれていると考えねばならない。というのも、これは、受信料の不払いが「愛国無罪」によって正当化されると彼らが考えていることを意味するからである。

 右翼は、たとえば沖縄の「反基地」運動に関連し、あるいは、「反原発」運動に関連し、左翼の「反日無罪」を繰り返し批判してきたはずである。しかし、NHKの受信料に関し右翼が強調する「愛国無罪」は、逆立ちした「反日無罪」であり、「受信料を支払う必要はない」などと嘯くことをやめないかぎり、彼らには左翼の「反日(反基地/反原発)無罪」を「糾弾」する資格などないと考えるのが自然である。

 そもそも、形式的に考えるなら、受信料を支払っていないということは、NHKの番組を観ていないことを意味する。受信料を支払わぬままNHKの番組を観ることは違法だからである。しかし、NHKの番組を観ていない者には、NHKの番組内容を知ることができず、当然、NHKを批判することもできないはずである。「NHKの番組が反日的だから受信料を支払わない」と言う者を見つけたら、何よりもまず、「どのようにしてNHKの番組の内容を知りえたのか」を尋ねることが必要であろう。


race-801940_1920

リオデジャネイロ・パラリンピックがスタートしました。 史上最高のメダルを獲得して感動の渦だったオリンピックから、舞台がパラリンピックへ移ります。 ぜひパラリンピック中継を“NHKで”観たいと思っていま

情報源: 衆議院時代にNHKに問い詰めた「パラリンピックを放映しないなんてもったいない!」思わず熱くなり大炎上もしましたが…|中田宏公式WEBサイト


 上の記事を読み、埋め込まれていた動画を観た。NHKでのパラリンピック大会の放送時間を増やすべきであるというのがその主張である。


 中田宏氏の主張は、パラリンピックをオリンピックと同じように扱うという点に話を限るなら、その通りであると思うけれども、放送時間をこれ以上拡大することには、私は必ずしも賛成しない。

 私は、オリンピックについてもパラリンピックについても、少なくともNHKで放送するに値するものではないと考えている。これらのスポーツ大会をNHKの地上波で放送することは、ある限度を超えると、公共の利益に反するものとなるように思われるからである。そもそも、スポーツ大会というものは、誰もが興味を持つものではないし、興味を持たなければならないものでもない。たとえば、今年の夏のオリンピックについて、放送されたものをすべて観た人は少なくないであろう。しかし、それとともに、私のように、何も観なかった人間もまた、それなりの数になるはずである。

 政治や経済に関するテレビの報道は、社会全体の問題に関する合意形成の前提となる情報を提供するものであるから、基本的に「万人が観るべきもの」である。これに対し、スポーツは、観る者にとっては単なる娯楽であり、「観たければ観る」ものである。NHKの地上波の放送時間を、毎日、何時間にもわたって最優先で占拠しなければならないほどの価値がオリンピックとパラリンピックにあるのかどうか、冷静に考える必要があるように思われる。オリンピックとパラリンピックが開催されているあいだ、世界が休んでいるわけではなく、事件が少なくなるわけでもない。優先的に報道すべきことは、いくらでもあるはずなのである。

 もちろん、たとえば、演歌に興味がない者にとって、NHKが放送する歌番組は邪魔であるかも知れない。しかし、演歌が放送されるのは、せいぜい週に1回、45分間にすぎない。歌番組がNHKの放送の質に何か悪影響を与えるとしても、それは、目に見えないほど小さなものである。少なくとも、普段から放送される番組が演歌のせいで休止になったり、放送時間が変更されたりすることはない。

 それでも、今回のオリンピックには、まだ救いがあった。ブラジルと日本のあいだの時差が12時間あり、現地の昼間が日本の夜に当たっていたからである。番組編成に与えるインパクトは、比較的小さかったはずである。

 これに対し、2020年の東京オリンピックとパラリンピックでは、時差がない。つまり、昼間に行われる競技は、昼間に放送される。そのとき、どのくらいの量の番組が蹴散らされ、どのくらいの量のニュースが報道されぬまま終わり、そのせいで、社会全体の利益がどのくらい損なわれることになるのか、これは、あまり考えたくない問題である。

 オリンピックとパラリンピックの放送が不要であると考えるのと同じ理由によって、高校野球についても、NHKで放送する価値はないと私は考えている。(少なくとも、私自身は、記憶にあるかぎりでは、高校野球をテレビで観たことがない。)

 公共の電波を占領することが許されるスポーツがあるとするなら、それは、プロスポーツだけである。たとえば、相撲、プロ野球、プロサッカーなどは、本質的に「見せる」こと、つまり、観客がいることを前提とするものだからである。

↑このページのトップヘ